予備選挙での総得票数
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「1964年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「予備選挙での総得票数」の解説
パット・ブラウン - 1,693,813 (27.26%) リンドン・ジョンソン - 1,106,999 (17.82%) サム・ヨーティ - 798,431 (12.85%) ジョージ・ウォレス - 672,984 (10.83%) ジョン・W・レイノルズ - 522,405 (8.41%) アルバート・S・ポーター - 493,619 (7.94%) マシュー・E・ウェルシュ - 376,023 (6.05%) ダニエル・B・ブリュースター - 267,106 (4.30%) ジェニングス・ランドルフ - 131,432 (2.12%) 非拘束 - 81,614 (1.31) ロバート・ケネディ - 36,258 (0.58%) その他 - 23,235 (0.37%) ヘンリー・カボット・ロッジJr.(記名投票) - 8,495 (0.14%) アドレー・スティーブンソン - 800 (0.01%) ヒューバート・H・ハンフリー - 548 (0.01%) 全国党大会では、統一ミシシッピ州自由民主党 (MFDP)が、党の規則に基づくのではなく、公式のミシシッピ州代議員団がジム・クロウ法の予備選挙で選ばれていることを理由に、自分達がミシシッピ州の代議員であることを主張した。党のリベラル派指導者達は2つの議員団で公平に議席を配分することを支持した。ジョンソンは、正規のミシシッピ州民主党ならばどうしてもゴールドウォーターに投票するであろうが、彼等を拒絶することは南部の票を失うことになると心配した。結果的にヒューバート・H・ハンフリー、ウォルター・ロイター、さらには黒人公民権運動の指導者であるロイ・ウィルキンス、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアおよびベアード・ラスティンが妥協を工作した。ミシシッピ州自由民主党は2議席を得た。正規のミシシッピ州代議員団は党公認候補への支持に対する誓約を求められた。今後の民主党全国大会は人種差別選挙で選ばれた代議員団を受け入れることは無いとされた。ミシシッピ州自由民主党の弁護士ジョセフ・ラオは当初この取引を拒否したが、最終的その議席を受け入れた。ミシシッピ州とアラバマ州からの多くの白人代議員が誓約に署名することを拒否し、会場を後にした。若い公民権運動家達は如何なる妥協にも不満を抱いた。ジョンソンは選挙で南部の多くを制したが、ルイジアナ州、アラバマ州、ミシシッピ州、ジョージア州およびサウスカロライナ州は落とした。 ジョンソンはまた、ケネディ大統領の弟で司法長官のロバート・ケネディとの問題があった。ケネディとジョンソンは1960年の大統領選挙以来互いを嫌っていた。ケネディがその兄の副大統領候補にジョンソンがならないよう画策した時に、その溝が深まった。1964年初め、ロバート・ケネディはジョンソンを嫌っていたにも拘らず、ジョンソンに自分を副大統領候補として認めるよう強いた。ジョンソンは現行閣僚には誰も民主党公認の2枚目の切符を渡す考えは無いと宣言することで、この脅しを排除した。ジョンソンはまた、ケネディが1964年民主党党大会で予定される演説を使って代議員の中に感情の高まりを創りだし、自身をジョンソンの副大統領候補に指名させるのではないかということを心配するようになった。ジョンソンはケネディの演説を慎重に大会の最後の日に組み入れ、その副大統領候補が既に決まった後になるようにした。民主党全国大会の直ぐあとで、ケネディはジョンソン内閣を去り、ニューヨーク州で合衆国上院議員の議席を求めて出馬することにした。ケネディはその年11月の選挙で当選した。ジョンソンはその副大統領候補として、ミネソタ州選出合衆国上院議員で公民権運動の活動家でもあるヒューバート・H・ハンフリーを選んだ(ケネディの暗殺後、副大統領候補の必要性は大会で不安な要素を与えていたことは注目すべきである)。
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予備選挙での総得票数
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バリー・ゴールドウォーター - 2,267,079 (38.33%) ネルソン・ロックフェラー - 1,304,204 (22.05%) ジェイムズ・A・ローズ - 615,754 (10.41%) ヘンリー・カボット・ロッジJr. - 386,661 (6.54%) ジョン・W・バーンズ - 299,612 (5.07%) ウィリアム・スクラントン - 245,401 (4.15%) マーガレット・チェイス・スミス - 227.007 (3.84%) リチャード・ニクソン - 197,212 (3.33%) 非拘束 173,652 (2.94%) ハロルド・スタッセン - 114,083 (1.93) その他 - 58,933 (0.99%) リンドン・ジョンソン(記名投票) - 23,406 (0.40%) ジョージ・ロムニー - 1,955 (0.03%) サンフランシスコのカウパレス・アリーナで開催された1964年共和党全国大会では、党中道派と保守派が公然と互いを中傷しあうことになり、最も苦い大会になった。ロックフェラーはその演説のために演台に立ったとき騒々しいブーイングで迎えられた。その演説では厳しく党保守派を批判し、そのことで傍聴席にいた多くの保守派は彼に大声で喚きたてた。中道派の集団がスクラントンを担いでゴールドウォーターを止めようとしたが、ゴールドウォーター側は容易にその挑戦を退け、最初の投票で大統領候補に指名された。大統領候補指名投票の結果は以下の通りだった。 バリー・ゴールドウォーター - 883 ウィリアム・スクラントン - 214 ネルソン・ロックフェラー - 114 ジョージ・ロムニー - 41 マーガレット・チェイス・スミス - 27 ウォルター・ジャッド(英語版) - 22 ハイラム・フォン - 5 ヘンリー・カボット・ロッジJr. - 2 副大統領候補には知名度の低い共和党議長でニューヨーク州北部選出の合衆国下院議員ウィリアム・E・ミラーが指名された。ゴールドウォーターは「彼ならジョンソン大統領の石頭を追い出せる」からミラーを選んだと述べた。 指名受諾演説でゴールドウォーターは次の様に言っている。 「 私は次のことを諸君に思い起こさせよう──自由を守るために過激であることは何ら欠点が無い・・・・・そして正義を追求するのに中庸であることは何ら美徳ではない 」 この演説は、多くの共和党中道派に余りに侮辱的な挑発と受け止められ秋の本選挙で民主党への投票を招く一因となった。
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