批判と遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 22:28 UTC 版)
アカデミック絵画への最初の批判は、ギュスターヴ・クールベら写実主義の画家たちから、その観念性に対して浴びせられた。それらは観念的なクリシェと神話・伝説のモチーフに基づく一方、現代社会との関係性がまったく無視されているというのである。写実主義によるもうひとつの批判は、彩画の「筆使いをわざと消した表面のなめらかさ」(Licked finish参照)だった。オブジェはリアルな質感を持たず、なめらかにつるつると、理想化されて描かれていたのである。写実主義画家テオデュール・リボーはそれに対抗して、ラフで未完成の質感を持った作品を試作した。 スタイル的には、目で見たものをその場で描く、En plein air(屋外)での絵画を主張していた印象派たちが、アカデミック絵画の垢抜けして理想化(概念化)されたスタイルを批判した。アカデミック画家たちは最初にデッサンし、それから油絵具でスケッチするのだが、その高い完成度が印象派には嘘に見えたのだった。油絵具でスケッチした後、アカデミック画家たちは、イメージを理想化し細かいディテールを描き足すために「fini」(入念な仕上げ)を施す。遠近法は平面上に幾何学的に構築され、実際に見たものではなく、印象派は機械的な技法への傾倒を否定した。 写実主義も印象派も、静物画や風景画を下位に置くジャンルのヒエラルキーを否定した。注意しておかなければならないのは、写実主義や印象派などアカデミスムに抵抗した初期アヴァンギャルドの画家たちは、元々はアカデミック画家のアトリエにいたことである。クロード・モネ、ギュスターヴ・クールベ、エドゥアール・マネはアカデミック画家たちの弟子だった。より後期の前衛画家に位置するゴッホ、ロートレックらもフェルナン・コルモンの弟子として基礎的な技術・知識を習得しており、さらにはアンリ・マティスまでそうした教育を受けている。 近代美術(Modern art)とそのアヴァンギャルドが力をつけ、アカデミック絵画はさらに批判され、「感傷的」「クリシェ」「保守的」「因襲性」「ブルジョワ的」「趣味が良くない」と見なされた。フランスでは、アカデミック絵画のスタイルは、ジャック=ルイ・ダヴィッドの絵の中の兵士が消防士(ポンピエ)のようなヘルメットをかぶっていることから「アール・ポンピエ」と、またその絵は仕掛けとトリックを通して偽りの感情を生み出したとされ、「grande machines」と呼ばれることもある。アカデミック絵画に対するこうした誹謗は、美術評論家クレメント・グリーンバーグがすべてのアカデミック絵画は「キッチュ」であると本に書いたことでピークに達した。アカデミック絵画への言及は美術史や参考書から徐々に姿を消していった。 しかしこうした前衛絵画の黄金期が過ぎ去り始めた1950年・60年代以降、かつて前衛画家やその先駆者達が批判したアカデミー教育と同じ「権威主義」と化した前衛絵画運動への批判が展開され始めた。当時の美術史教育ではルネサンス以降に権威に縋るようになったアカデミック系の芸術家が全く違う経緯から発展した印象派に打ち倒され、そしてこれを継承した前衛絵画が今日の絵画芸術を担っているという「前衛絵画史観」が一般的となっていた。アカデミズム美術の再評価を進めた美術史家アルバート・ボイム(英語版)は自身が受けた大学院教育について、「スライドショーでセザンヌのパレードが展開される間、まるで息抜きがてら道化芝居を見せるようにジェロームらアカデミック美術の絵画が一枚だけ表示された」と回想している。 ボイムらによって美術史上で「取るに足らない存在」という扱いを受けていた最末期の新古典主義派の画家達も再評価される流れとなった。また並行する形で一般社会でも写実主義や正確なデッサンなどの古典的な価値観が求められる傾向にあり、アカデミック絵画の再評価にはずみをつけている。
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