運動への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 06:13 UTC 版)
『読売新聞』は12月9日の紙面で、町の指導者を務めているため、運動と仕事の板挟みの立場となっている刃物業者を取り上げた「刃物屋さんは今様ハムレット」との記事を掲載し、また「青少年に必要のない刃物を持たせないというのはわかりますよ。しかし"刃物を持たない運動"とはなんですか。そんな表現ってありますか。刃物を持たないで、われわれは一日も暮らせませんよ。いまの勢いならお客は必要な包丁さえ新規に買うのを手控えますよ。どうしてくれるんですかい、あたしたちの商売をさ…」という刃物業者の声を伝えている。 また12月19日の紙面では「刃物に責任はない 追放より心構えを 根本は周辺の暴力根絶」との見出しの記事を掲載し、「刃物を持たない・持たせない運動と並行して、もっと積極的に刃物を悪用する青少年の実体とその原因を追及し、教育的によりよい指導を与えてやることが必要ではないだろうか」「必要なのは、やはり少年たちに対するあたたかい思いやり、愛情なのである。刃物を持たない・持たせない運動も、この愛情と思いやりがない限り、それは「ツノをためてウシを殺す」運動、あるいは一時的に問題をとりつくろう「コウヤク運動」に終わりかねないだろう」と述べている。 評論家の丸岡秀子は、「刃物による犯罪が起こった場合、その子どもの気持ちや環境も考えないで、つまりそういう行動を子どもにとらせたものはなにかという原因、責任の所在を追及しないで、刃物だけに責任を持たせるのは間違い。だれが少年をそうさせたのかを考え、いろんな角度からおとなが責任をとる道をつけるのでなければ、問題は根本的には解決しないのではないか」と述べている。 『朝日新聞』も1961年(昭和36年)2月14日の「〈今日の問題〉刃物追放の論理」で、「刃物追放運動に水をかける気は毛頭ない」としつつも、運動が始まってからも嶋中事件を初めとする青少年の刃物沙汰は後を絶たないと指摘し、「この追放というのは "持たない、売らない、持たせない" の "3ない" に尽きると思うが、これはどこか往年の "べからず主義" を連想させる。(中略)反抗期といわれる青少年には、逆に反発させる一面とさえなりかねない」「本当はナイフを凶器にする犯罪性、人をあやめるものでないナイフの持ち方を、しつっこく教えこむほかはないのである。ナイフだけ取り上げても凶器に化けるものは、いくらでもあるからだ。否定消極の刃物追放の論理は、だから根本的な解決にならないのではないか」と指摘している。
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