運動は穏健化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 00:06 UTC 版)
この事件で「査問」された人物の中心は、民主青年同盟や民青系全学連の指導者であった。全共闘運動と対決してきた日本共産党系の学生運動の担い手たちが、むしろ暴力的な学生運動の影響を受けて急進化し、場合によっては共産党中央の指導を拒否して学生・青年分野の指導担当者が独自の論理で運動を展開し始めたことに日本共産党中央指導部が強い危機感を持った。「国民の多数派」を獲得して「議会を将来にわたって文字通り国民の意見が正しく反映する場としていく」とすると党中央の「人民的議会主義」の路線に批判的立場だった広谷俊二、川上徹らの分派活動であったとするならば、この摘発・排除自体は議会重視の活動を党路線として再確認したものと言える。 また、広谷俊二、川上徹らは、大会決定への反対意見を抱いていたにもかかわらず党大会に至る正規の全ての党会議で表明したことは事件摘発まで一度もなく、表向きは「民主青年同盟内の規約改定の年齢制限の項に限った反対意見」だと当時は称し、党の議会重視の路線への反発は何年も経過してから表明されたものであった。
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