批判に対するペルコヴィッチの反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 09:27 UTC 版)
「トンプソン (バンド)」の記事における「批判に対するペルコヴィッチの反応」の解説
ペルコヴィッチは、自身はウスタシャでもファシストでもなく、愛国者であるとしている。ペルコヴィッチは、いかなる他の民族や宗教やイデオロギーの異なる人たちとの不和も望んでいないとした。それにも関わらず、ペルコヴィッチの立場は彼のウスタシャへの非難よりも、はるかにウスタシャへの支持を確認するものとなっている。彼はクロアチア独立国への支持を公言し、メディア上で少なくとも20回にわたって表明している。。ペルコヴィッチがウスタシャには反対の意見を述べても、これらの事実を勘案すればその信用性は高いとは言えず、むしろファシズム活動に対する法的規制によってバンドが解散させられる等の事態を回避するための手段に過ぎないと見られている。 2007年4月13日のヴコヴァルののコンサートでペルコヴィッチは「オレは誰にもコンサートで何を着るかなんて命令できないし、『U』の字の入った帽子やシャツを着ろなんて言っていない。諸君に対するオレのメッセージは、クロアチア独立戦争での栄光あるクロアチア軍の勲章を身につけろ、ということだ。若者たちが歴史の中に引きこもり、プロパガンダへと落ちていってしまうことは悲しいことだ。」 と発言した。 ペルコヴィッチはBilo jednom u Hrvatskojツアーにおいて、多くのユダヤ人組織からの抗議にあった。フランクフルトで開かれた際には、ユダヤ人組織はドイツ政府に対して、ファシズム的な歌詞を理由にコンサートを禁止するように強く求めた。ドイツ政府がトンプソンの歌詞のドイツ語訳を受け取ったとき、これらの要求は政府によって却下された。 2007年6月17日のザグレブ、マクシミル競技場でのコンサートでは、ペルコヴィッチは再び自身はファシストではないと述べた。ペルコヴィッチの発言は次の通りである: オレたちがファシスト、ナチスだっていう批判や攻撃を頻繁に受けて、そのせいでオレたちの曲を聴く諸君までもがそうであるかのごとく言われている。オレたちは批判してきている連中に言ってやりたい、オレたちはファシストでもナチスでもなく、クロアチアの愛国者であると。そのために生きる価値があるのだと。クロアチアという国ができたがために、オレたちのクロアチアは、血にまみれ、この世代の、この犠牲者の世代の中にあるのだと。 これに賛同の意を示した観衆は、中世クロアチアの鬨(とき)の声である「U boj, u boj - za narod svoj!」(戦へ、戦へ、われらが民衆のために!)をあげた。
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