手術と治療経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:15 UTC 版)
日本中央競馬会はテンポイントの手術と治療のために33名の獣医師からなる医師団を結成し、日経新春杯翌日の1月23日に手術を行った。手術の内容はテンポイントに麻酔をかけて左後脚を切開し、特殊合金製のボルトを使って折れた骨を繋ぎ合わせた後でジュラルミン製のギプスで固定するという内容のもので、2時間を要するものだった。骨折から9日後には「ヒエーッ、ヒエーッ」と腹をよじるような奇声を発し、翌日には褥瘡の兆候が出始め、熱も上り呼吸も乱れたが、テンポイントはこれに精神力で耐えた。手術は一応成功したと思われ、2月12日に医師団は「もう命は大丈夫。生きる見通しが強くなった」と発言し、一時期には体温も心拍数も安定していると報道された。この時小川は「片脚はいくらかいびつになるだろうから競走馬としては無理だが、種牡馬への道は開けるかもしれませんね」と発言した。しかし実際にはテンポイントが体重をかけた際にボルトが曲がり、折れた骨がずれたままギプスで固定されてしまっていた。 2月13日に患部が腐敗して骨が露出しているのが確認された。同月下旬には右後脚に蹄葉炎を発症して鼻血を出すようになり、さらに食欲も減退、全身はやせ衰えて目にも光がなくなり、症状は悪化の一途をたどった。3月2日には右後肢の蹄底部の角質が遊離し、診療所の管理課長は「病状はかなり悪化している。2、3日のうちに結論が出るだろうが8分通り絶望」と発言した。3日には事実上治療が断念され、医師団はそれまで行われていた馬体を吊り上げて脚に体重がかからないようにする措置を中止し、テンポイントを横たわらせた。4日には山田幸守をはじめとした6人の厩務員が徹夜で看病した。 3月5日、午前8時40分、テンポイントは蹄葉炎により死亡した。安楽死は最後まで行われず自然死であり、死因は「全身衰弱による心不全」と発表された。当日は青草やリンゴを食べていたが、テンポイントは突然前脚と後ろ脚に痙攣を起こして寝藁の中に沈み込むように倒れて亡くなった。骨折前に500kg近くあった馬体重は死亡時には400kgとも380kgとも350kgとも300kgあるかないかとも300kgを切るとも推測されるまでに減少し、馬主の高田が大きな犬と思うほどに痩せ衰えた。一緒に寝藁に横たわっていた厩務員の山田はテンポイントが前後の脚の痙攣を起こした際に「テンポイント!」と大声で叫び続けて体を叩いたが、テンポイントは全身を伸ばしながら体は冷たくなっていき、息を引き取った直後にはテンポイントの首に抱き着いて号泣した。最期を看取った鹿戸は、テンポイントが死亡した瞬間無言でその場に座り込んだという。 テンポイントの死を受けて高田は、「助けてほしいという私のひとことが、かえってテンポイントを苦しめる結果になったように思えて辛い。覚悟していたが死を知らされて、大きなショックと申し訳なさで何と言っていいか」と語った。また武田文吾は、「テンポイントを43日間も苦しめたのはかわいそうだったが、医学のためにも無駄ではなかった」と語った。 テンポイントの死はNHKが昼のニュース番組でトップニュースとして報道し、この日は日曜日だったため当日のフジテレビの競馬中継では阪神競馬場のスタジオ(関西テレビ)と結んで、杉本清と志摩直人が画面に登場、テンポイントの死亡について語るコーナーを設けるなど、マスコミでも大きく報じられた。フランスのAFP電も動物愛物語として、テンポイントの骨折から死までの経過を全世界に打電した。横尾一彦によると、翌日のスポーツ各紙は「(馬名の由来となった)10ポイント活字とは比べ物にならぬ大きな文字で」テンポイントの死を悼んだ。
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