手術と円谷の恋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:09 UTC 版)
東京オリンピック終了後、円谷には多くのファンレターが届くようになっており、ファンレターがきっかけで円谷は中央大学の同級生の妹と交際している。 1967年、前年に幹部候補生学校を卒業した円谷は、森川竹雄・新体育学校長のもと、翌年に迫ったメキシコオリンピックを目指し競技に集中するが、持病の腰痛の悪化や足の故障で満足に成績が残せなくなる。実業団の合宿や体育学校でのトレーニング中にアキレス腱を一部断裂し、8月には持病の椎間板ヘルニアと両足アキレス腱を手術、3ヶ月の入院を余儀なくされる。 入院中、円谷は世話役として派出婦会から派遣された女性と出会う。3ヶ月間付きっきりで身の回りを世話してくれる彼女と円谷は恋に落ち、結婚を誓い合う仲となった。退院後、円谷は女性のためにアパートを借り、彼女と半同棲の生活を送る。円谷は年末の帰省時には彼女のことを家族に話すつもりでいたという。 一方で、当時の円谷にはもう一人結婚を誓いあった女性がいた。母校・須賀川高校の4年後輩で、ファンレターがきっかけで交際を開始。既に両家の間でも結婚は諒解されていた。円谷自殺直前の年末年始には、兄の円谷敏雄が式場を予約する正式な縁談であった。
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