形式再編後の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 16:03 UTC 版)
「東武モハ5300形電車」の記事における「形式再編後の変遷」の解説
本形式は前述のように近距離運用を主眼として設計されたものであったが、前述6300系や78系などの4扉車体の大型通勤形車両の増備に伴って中長距離運用にも充当され、32系・54系に属する各形式と何ら区別なく混用された。 1960年(昭和35年)6月にクハ423・424の2両に対して前面貫通扉新設ならびに運転台の左側への移設が施工された。これは前述東上線におけるモハ・クハ固定編成化の一環として実施された改造であり、出場後の同2両はモハ5450形5455・5456とそれぞれ固定編成化された。 1962年(昭和37年)4月から同年5月にかけて、モハ5430形5431 - 5434を対象に運転台補強工事が施工された。同時に前面貫通扉の新設および運転台の左側への移設が実施され、モハ5200形ならびにクハ423・424と同等の仕様に変化した。また、同4両に対しては車内設備改善工事も同時に施工され、車内照明が蛍光灯化されたほか、車内放送装置・扇風機が新設された。 その他、全車を対象に車体塗装のベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色への塗装変更、編成の長大化に伴う制動装置への中継弁付加・ARE自動空気ブレーキ化、電動車のパンタグラフの東洋電機製造PT-41系への換装、前面窓固定支持のHゴム化等が順次施工された。また、保安装置(東武形ATS)整備に関連して、本形式においても多くの車両が運転室の機器撤去を行い事実上中間車化されたが、特にモハ5430形は全車が機器撤去の対象となり、晩年は先頭車としての運用が不可能となっていた。 1960年代後半に至り、32系の3000系への車体更新や54系の車内設備改善が進む中、モハ5200形5201 - 5203のみは旧態依然とした設備のまま存置されていた。性能的には54系に属する同形式は更新時期までまだ間があったことから、1966年(昭和41年)12月に車内照明の蛍光灯化や車内放送装置・扇風機の新設といった前述モハ5430形同様の改善工事が施工された。また、同形式においては老朽化が進行した外板の張替えも実施され、腰板下端部が車体裾部まで下ろされたことによって台枠が隠されたことが外観上の特徴となった。なお、同工事はモハ5201 - 5203の編成相手であったクハ550形560 - 562に対しても施工された。 後継形式の増備に伴って、本形式もまた他の旧型車各形式の例に漏れることなく、晩年は野田線および館林地区のローカル運用に充当された。その後、32系の3000系への更新進捗に伴って本形式の32系グループ(モハ3200形・3260形)も更新対象となり、野田線における運用中に踏切事故に遭遇し大破したモハ3260形3263が1965年(昭和40年)2月に車体更新されたことを皮切りに順次更新が進捗し、1969年(昭和44年)までに全車の更新が完了した。さらに1971年(昭和46年)以降、54系グループ(モハ5200形・5430形)の3050系への更新も開始され、本形式中最も手を加えられたモハ5200形のうちモハ5201・5202が最後まで残存したものの、同2両についても1973年(昭和48年)に更新が実施された。 モハ5200形の形式消滅をもって東武における運輸省規格形車両は全廃となった[要出典]。
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