平和橋通り線
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新小51 : 新小岩駅 - 平和橋 - 堀切菖蒲園駅 - 登記所 - 綾瀬駅 新小51(出入庫) : 新小岩駅 - 平和橋 - 渋江公園 - タウンバス車庫 新小51(出入庫) : タウンバス車庫 - 渋江公園 - 登記所 - 綾瀬駅1954年1月15日 : 〈京成〉奥戸車庫 - 大和ゴム前(現・渋江公園) - 小菅 - 五反野南町(のち荒川二丁目) - 千住四丁目 - 北千住駅を開通。 昭和 : 今井 - 小岩駅 - 奥戸車庫 - 小菅 - 北千住駅の運行が行われる。 昭和30年代 : 〈京成〉新小岩駅 - 平和橋 - 小菅 - 五反野南町 - 北千住駅に変更。 昭和40年代前半 : 〈京成〉新小岩駅 - 平和橋 - 小菅 - 綾瀬二丁目 - 綾瀬駅 - 小菅一丁目 - 五反野南町 - 北千住駅に変更する。 1975年頃 : 〈京成〉小菅一丁目 - 北千住駅間を廃止し、新小岩駅 - 綾瀬二丁目 - 綾瀬駅および奥戸車庫 - 綾瀬二丁目 - 綾瀬駅 - 小菅一丁目に短縮し、綾瀬線となる。 昭和50年代 : 〈京成〉新小岩駅 - 綾瀬二丁目 - 綾瀬駅 - 小菅一丁目に統合する。 1996年4月20日 : 〈京成〉新小岩駅 - 小菅 - 登記所 - 綾瀬駅に変更。 2001年2月16日 : 京成タウンとなる。のち、平和橋通り線に線名が変更。 新小岩駅を発車して平和橋通りをまっすぐ北上して綾瀬駅まで行く系統である。主に大型車で運行される。 新小岩駅を出ると総武線のガードをくぐり、蔵前橋通りを交差するが、ここの巽橋交差点が非常に混むことがある(現在は陸橋完成で若干緩和された)。さらに、渋江公園付近で京成押上線の踏切付近は慢性的に混んでいる。以前のルートでは綾瀬駅東口付近も走っており、そこの渋滞もひどかったが、路線変更によりこれは解消されている。一方で、2013年11月下旬に新小岩駅南口入口交差点にあった、歩道橋が撤去され、その代わりに歩行者信号が設置された。これにより車道側の青信号の現示時間が短縮されたせいか、南口ロータリーへの出入りで渋滞が起きるようになった。 「登記所」は、足立区と葛飾区を管轄する東京法務局城北出張所を指す。 「東京法務局#管内支局・出張所」も参照 開通当時は北千住駅まで運行していた。最初は小菅停留所からすぐに西行し、小菅一丁目・刑務所(現・東京拘置所)を通るルートだったが、平和橋通りが小菅停留所 - 今の綾瀬駅東口付近まで延長開通するとすぐに綾瀬駅経由となり、同駅までの利用者が多くなった。全国バス路線便覧(1963年3月31日)によると、新小岩駅 - 北千住駅便と新小岩駅 - 堀切車庫便(現・堀切五丁目)がほぼ同数となっており、この時期は南側の利用者の方が圧倒的に多かったようである。なおこの時期には、小菅刑務所(現・黒羽刑務所)から釈放された際に迎えの来なかった元受刑者が、故郷へ帰るため最寄りの国電の駅に出るのに利用するという役割もあった。 1973年(昭和48年)頃に北千住駅への運行をとりやめ、ほとんどの便を綾瀬駅止まりとし、わずかな便を小菅一丁目まで運行するように変更した。ちなみに、千代田線が北千住 - 綾瀬間を開通し、常磐線と相互乗入れを開始したのは1971年4月20日である。北千住駅付近のルートを廃止したのは、千住新橋の架け替えにより小菅側と橋の連絡が困難となったからだとのことである。しかし、小菅一丁目止まりとなったことで、定期的な利用者はほとんどいなくなってしまい、綾瀬駅東口・綾瀬二丁目を通るより綾瀬一丁目を通る方が利便性が高いということから、現在のようなルートに変わった。 1996年(平成8年)のダイヤ改正で綾瀬駅と小菅一丁目の間が廃止になり、現在のルートが完成した。この時に葛飾区小菅一丁目付近は路線バスが一切なくなったため、翌1997年、日立自動車交通が乗合参入第一弾として綾瀬駅を起終点とする循環乗合タクシー『さくら号』をスタートさせた。 詳細は「さくら (葛飾区)#ルート」を参照 綾瀬駅東口を経由していた頃は混雑対策用のルートもあった。 なお、タウンバス車庫発着便は出入庫便である。このバスは新小岩駅東北広場へは向かわないので注意が必要である。
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