市場経済と法(1993年から2001年)
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「中国法制史」の記事における「市場経済と法(1993年から2001年)」の解説
1992年の1月から2月にかけて、鄧小平が南方を視察した際におこなった重要演説(南巡講話)に基づき、同年10月の中国共産党第14回全国代表者大会(第14回大会)は「社会主義市場経済への移行」を決定した。国家建設モデルの質的転換がなされたわけであり、これに合わせ立法政策も根本から変わってくる。すなわち「市場経済への移行」を目標とし、具体的にはWTO(当初はGATT)加盟を課題としたことにより、先進資本主義国の法や国際条約等を直接参考にする必要がでてきたのである。1993年7月、全国人民代表会議常務委員会で喬石委員長は、市場経済が開放型の経済であり国際的な経済であることから、国際共通ルールと整合性を保つように立法を進めることを強調して、「国外の経験を大胆に吸収して参考とする」よう述べただけでなく、外国法の条文を「直接移殖」して実践の中で修正していく可能性にまで触れている。一方立法政策の転換と同時に、立法手続も正規化の方向へ向かった。1999年制定の中華人民共和国契約法の制定に見られるように、草案作成の段階で法律家や学者が参加するようになり、学者建議稿が公表されるようになった。2000年には、立法法が制定されている。1993年の憲法修正においては、「計画」「計画経済」が条文から削除され、「社会主義市場経済」に取って代わられた。さらに1999年の憲法修正では、公有制と按労分配の原則についても、公有制と按労分配が主体的地位にあることを確認してはいるものの、多種類の分配方法の併存が原則であると、代えられた。1982年現行憲法が定めた社会主義の原則に根本的な修正が加えられたわけであり、従来の意味での社会主義憲法から離脱してしまっている。1979年に制定されていた刑法には、類推規定と反革命罪という大きな特色が二つあった。これが1997年に改正され、罪刑法定主義が採用されて類推の規定は姿を消し、また反革命罪も国家転覆罪へと改められた。民事法では、1981年制定の経済契約法が「民事契約」とは別の「経済契約」という社会主義組織間の契約を規律していたが、1999年10月制定に中華人民共和国契約法の制定に伴い完全に廃止された。この契約法の制定にあっては、国際条約等が参照され、先進的ともいえる内容になっている。さらに法システム構築の基準に関わる概念も変化している。1970年代末以来の「法制」概念に替え、1997年の党15回大会から「法治」(依法治国、社会主義的法治国家)という言葉が使われている。1993年以降の立法は、もはや社会主義法の枠内に留まるものではなく、近現代法システムの構築をめざすものとなったといえる。
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