市場経済への移行期(1978年 - 1992年)
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「改革開放」の記事における「市場経済への移行期(1978年 - 1992年)」の解説
毛沢東時代の大躍進政策と文化大革命で疲弊した経済を立て直すため、現実派の鄧小平は「四つの近代化」を掲げ、市場経済体制への移行を試みる。基本原則は先富論に代表されるように、先に豊かになれる条件を整えたところから豊かになり、その影響で他が豊かになればよいという考え方である。 これはそれまでの教条主義(毛沢東思想)を切り離した象徴といえる。これに則り、農村部では人民公社が解体され、生産責任制、すなわち経営自主権を保障し、農民の生産意欲向上を目指した。都市部では外資の積極利用が奨励され、広東省の深圳、福建省のアモイなどに経済特区が、上海、天津、広州、大連などの沿岸部諸都市に経済技術開発区が設置される。華僑や先進国の資本を積極的に導入することで、資本確保や国外からの技術移転など成し遂げる一方、企業の経営自主権の拡大などの経済体制の改革が進んだ。 改革開放政策は、同時に中国社会に大きな矛盾を生み出した。農村部と都市部、沿岸部と内陸部における経済格差が拡大し、官僚の汚職や腐敗が一層深刻なものになった。インフレや失業も目立つようになり、政府に対する不満は高まっていった。1989年には天安門事件が発生、改革開放は一時中断することになる。 北京大学の張維迎教授は「最初の15年間は価格自由化に終始した」と分析している。
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