巣鴨と角筈の撮影所とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 巣鴨と角筈の撮影所の意味・解説 

巣鴨と角筈の撮影所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 14:04 UTC 版)

国際活映」の記事における「巣鴨と角筈の撮影所」の解説

1919年大正8年12月6日小林喜三郎設立した資本金は1,000万円当時)、社長に岡田文次迎え小林常務取締役おさまり関屋親次も常務取締役とした。 日本橋区箱崎町現在の中央区日本橋箱崎町)の砂糖商で同月13日鉱業投資ファンド大北炭砿」の取締役就任した熊取谷七おなじく砂糖商で同年11月中央生命取締役就任した桑山伊作といった「大正バブル紳士設立時取締役にしている。 かつて1914年大正3年)に大阪山川吉太郎とともに天然色活動写真」(天活)を設立したが、天活の東の興行委任された「小林商会」で映画製作開始天活から大量俳優引き抜き行なって対抗勢力たろうとした挙句1917年大正6年)に負債抱えて倒産した小林が、1919年3月D・W・グリフィス監督超大作無声映画イントレランス』(1916年)の「10円興行」でみごと復活、その資金設立したのが同社である。 詳細は「小林商会#終焉」を参照 1920年大正9年1月、「天活」の本社機構と「巣鴨撮影所」を買収設立第一作吉野二郎監督枝正義郎撮影の『忍術四天王』で、同年暮れ押し迫った12月29日浅草公園六区大勝館ほかで公開された。天活最終作品その3日後の翌1920年大正9年1月1日八丁堀大盛館ほかで上映され田村一郎監督大森撮影の『呪い猛火であった福宝堂時代からの小林盟友山川吉太郎国活には参加せず同年5月、「天活」の「大阪支社」と「小阪撮影所」を「帝国キネマ演芸株式会社」(帝キネ)に改組した。 小林は「常盤商会時代に自らが建設した日暮里撮影所」(1913年 - 1919年)をついに閉鎖、「巣鴨撮影所」を稼動1920年前半を「吉野正」、「田村・大」の2つ監督撮影タッグまわした。それと平行して南豊島郡淀橋町大字角筈十二社現在の新宿区西新宿京王プラザホテル近辺)に「角筈撮影所」を新設同年後半からは同所での製作を開始した。「国活角筈第一作は、日活向島撮影所出身細山喜代松監督起用女優千歳映画デビューさせた『短夜物語であった同作同年7月1日撮影所お膝元新宿同年5月オープンした新宿武蔵野館ほかで公開された。「女形」の新派役者受け入れた巣鴨」で時代劇を、時代趨勢である新劇の「女優」を出演させた現代劇を「角筈」で、という棲み分け行なった開所時の角筈撮影所概要下記の通りである。 撮影所長・撮影課長 : 桝本清 脚本係 : 佐々木郎、野村愛正 監督係 : 畑中波、水島亮太郎細山喜代松 撮影係 : 酒井健三長井信一鈴木次郎 俳優 : 井上正夫武田春郎児島三郎正邦宏高瀬実(のちの高勢実乗)、水島亮太郎吉田豊作五味国太郎千歳英百合子瀬川つる子御園つや子、小松みどり松島須恵同社外国映画輸入配給も手がけていたが、小林の手法にはトラブル多く1920年には、横浜山下町の「平尾商会」が正式輸入し同地大正活映配給したアルベール・カペラーニ監督アラ・ナジモヴァ主演アメリカ映画大作紅燈祭』(1919年)を上海からの闇ルート中古プリント入手、『赤燈籠』として競合公開した

※この「巣鴨と角筈の撮影所」の解説は、「国際活映」の解説の一部です。
「巣鴨と角筈の撮影所」を含む「国際活映」の記事については、「国際活映」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「巣鴨と角筈の撮影所」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「巣鴨と角筈の撮影所」の関連用語

1
10% |||||

巣鴨と角筈の撮影所のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



巣鴨と角筈の撮影所のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国際活映 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS