巣鴨撮影所とは? わかりやすく解説

巣鴨撮影所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 08:41 UTC 版)

大都映画」の記事における「巣鴨撮影所」の解説

巣鴨撮影所は、東京府北豊島郡西巣鴨町現在の東京都豊島区西巣鴨4丁目、西巣鴨交差点近くにあった撮影所である。 1919年大正8年)、「天然色活動写真株式会社」(天活1914年創立)が開設した正法院妙行寺など、寺社の多い巣鴨地の利活かしてロケーション撮影行ない時代劇などを製作したが、当時日活日本活動写真株式会社)が圧倒的に強く天活基盤脆弱であった1920年大正9年)には天活は、もと天活創設者だった小林喜三郎関東興行師アメリカ大作映画イントレランス』の日本興行成功したのは有名)が日活から脱退した人々新たに創立した国際活映」(国活)に買収される形で消滅した国活は、この巣鴨撮影所で、新派俳優加え現代劇製作し日活対抗勢力たろうとしたが、経営悪化し配給滞りわずか4年倒産したその後巣鴨撮影所は一旦、天活消滅後大阪撮影所引き継いで発足していた帝国キネマ撮影所となり、さらに1928年昭和3年)、前年末に河合徳三郎発足したB級映画専門会社河合映画製作社」が手に入れた河合映画徹底した娯楽路線次々配給先の映画館ネットワーク広げ1933年昭和8年)に「大都映画となった1942年昭和17年)、大都合併により大映になり、同社同年、巣鴨撮影所は閉鎖したかわって巣鴨に入る映画会社はもはやなく、かつて日本最大映画量産地だった巣鴨から、映画製作活気失われた撮影所跡地には、のちに豊島区朝日中学校建てられた。同校合併統合により、2001年平成13年)に廃校となった存続校舎は旧豊島区立大塚中学校豊島区立巣鴨北中学校の項を参照)。元校舎2004年より2016年まで「にしすがも創造舎」になり演劇稽古場などに使われていた。2017年以降は再び豊島区立巣鴨北中学校建て替えに伴い、その期間中代替校舎として利用されている。

※この「巣鴨撮影所」の解説は、「大都映画」の解説の一部です。
「巣鴨撮影所」を含む「大都映画」の記事については、「大都映画」の概要を参照ください。

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