国活・帝キネへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 22:34 UTC 版)
同1919年に小林が創立した「国際活映株式会社」(国活)に買収される形で「天活」は消滅した。天活が最後に製作・公開した作品は、翌1920年1月1日に八丁堀大盛館ほかで上映された田村宇一郎監督、大森勝撮影の『呪いの猛火』であった。国活では「日暮里撮影所」を閉鎖、「巣鴨撮影所」を稼動した。田村、大森ともに国活に残ったが、同年中に田村は松竹蒲田へ、大森は帝キネへ移った。 山川吉太郎は「国活」には参加せず、1920年(大正9年)5月、「大阪支社」と「小阪撮影所」を「帝国キネマ演芸株式会社」(帝キネ)に改組した。
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