帝国キネマ巣鴨撮影所(東京・巣鴨、1925年-1928年)
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1919年、「天然色活動写真巣鴨撮影所」として開所。同年「天活」解体とともに「国際活映巣鴨撮影所」となる。1923年6月、国際活映を退社した帰山教正が映画芸術協会としての活動を再開、帝国キネマ興行部が配給することを前提に「帝キネ東京派」として映画を製作、その際にレンタルしたスタジオが同撮影所であった。「帝キネ東京派」は同年9月1日の関東大震災で瓦解する。1925年初頭の「国活」倒産を受けて「帝国キネマ巣鴨撮影所」となる。 1928年、河合徳三郎の「河合映画」が買収そして「河合映画巣鴨撮影所」、1933年、「大都映画巣鴨撮影所」を経て、1942年の戦時統合で「大映」のものとなる際に閉鎖。詳細は「大都映画」を参照
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