帝国キネマの小國狂二とは? わかりやすく解説

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帝国キネマの小國狂二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 16:57 UTC 版)

小國狂二」の記事における「帝国キネマの小國狂二」の解説

1903年明治36年8月15日兵庫県神戸市生まれる。日本映画監督全集』(キネマ旬報社)を執筆した岸松雄によれば生年1905年明治38年)説もあるといい、本名については、『日本映画俳優名鑑 昭和年版』(映画世界社)に「本名同じく小國狂二」とあるように、従来それが本名とされていたものを岸は否定し、「山田 常次」であるとした。『放送年鑑 ラジオ・テレビのすべて 1965』(日本放送作家協会)、『文化人名録19著作権台帳』(日本著作権協議会)、いずれの琴代 京平」の項目においても、「小国 常次」が併記されているが、岸によればそれはべつの筆名であるという。『文藝年鑑』(日本文藝家協会1978年によれば琴代京平本名は「小国 常次」であるという。 旧制中学校卒業後、関西学院現在の関西学院大学)に進学するが、1922年大正11年)、同学中途退学する。新劇劇団参加し座付作者として活動始める。マキノ・プロダクション提携関係にあった実川延松延松映画製作し1926年大正15年3月19日公開された『怪刀乱舞』にオリジナルシナリオ採用され記録がある。同年帝国キネマ演芸芦屋撮影所脚本部に入社する1928年昭和3年)には同社退社谷崎十郎主宰する奈良ヤマト映画製作所で、『因果かづら』と『否通魔』を監督したが、同年4月には帝国キネマ演芸復帰している。 1932年昭和7年)には、京都東活映画社脚本部に入社脚本量産するが、同社同年10月解散している。

※この「帝国キネマの小國狂二」の解説は、「小國狂二」の解説の一部です。
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