帝国アルル
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1032年、ルドルフ3世は40年に及ぶ治世でついに継嗣を残せず死去した。アルル王国は1006年の条約通り、ハインリヒ2世の跡を継いでいたザーリアー朝の皇帝コンラート2世が継承した。歴代皇帝は「アルル王」の称号を維持したが、アルル大聖堂で戴冠式を挙げた皇帝はほとんどいなかった。例外はフリードリヒ1世バルバロッサであり、1178年にアルル大司教によりブルグント王として戴冠されている。 こうしてアルル王国は帝国の一部となったが、かなりの自治が認められた。名目上は皇帝によって統合されていたアルル王国だが、11世紀から14世紀末の間にいくつかへの領域へと分裂して再構築された。すなわちプロヴァンス伯領、プロヴァンス辺境伯領、ヴネサン伯領(教皇領)、ヴィヴァレ司教領、リヨン大司教領、ドーフィネ(ヴィエンヌ伯領)、サヴォイア伯国、そしてブルゴーニュ伯領である。1127年、南ドイツのツェーリンゲン家がブルゴーニュ伯領東部を獲得し、皇帝ロタール3世からブルグント総監(皇帝代理職)に任命された。ブルゴーニュ伯は領土が半減した見返りに、帝国への臣従義務(≒皇帝代理であるツェーリンゲン家への臣従義務)から解放されて自由伯(フランシュ=コンテ)を名乗った。ブルゴーニュ伯は帝国領でありながら、独立した地位を得たのである。後にツェーリンゲン家は断絶し、姻戚関係からキーブルク家、次いでハプスブルク家が遺領を引き継いだ。そして1273年、ハプスブルク家のルドルフ1世がローマ王に選出された。ローマ王とは、神聖ローマ帝国の君主に選出されたが皇帝としては戴冠していない者の称号である。ルドルフ1世は神聖ローマ皇帝への戴冠を望んだ。 1246年、プロヴァンス伯位はフランス王家支流のアンジュー家に渡っていた。1277年から1279年の間、教皇ニコラウス3世の元でプロヴァンス伯領の所属、ルドルフの帝位請求権、そして長らく放置されていたアルル王権について議論された。参加者はローマ王ルドルフ1世、フランス王族でありシチリア王兼プロヴァンス伯でもあるシャルル・ダンジュー、フランス王母であるマルグリット・ド・プロヴァンスである。ルドルフは娘のクレメンツィアをシャルル・ダンジューの孫シャルル・マルテル・ダンジューと婚約させ、アルル王国全体をクレメンティアの持参領とすることに同意した。その見返りとして、シャルル・ダンジューは神聖ローマ皇帝位をハプスブルク家の世襲とする支援を約束した。教皇はローマ王がアルル王国を手放したという先例を作ることにより、将来北イタリアが神聖ローマ帝国から切り離されること、そして教皇の実家であるオルシーニ家にイタリアが与えられることを期待した。1282年、シャルル・ダンジューはシャルル・マルテルとクレメンツィアの二人にアルル王位を請求させるべく送り出す準備を整えたものの、シチリアの晩祷事件によって計画は破綻した。神聖ローマ帝国の構成国家としてのアルル王国は存続し、ルドルフの皇帝戴冠は成らず、ハプスブルク家によるローマ王位世襲もこのときは失敗した。 しかし、アルル王国解体の流れは止まらなかった。下ブルグントの殆どは徐々にフランス王国に組み込まれていった。プロヴァンス辺境伯位(プロヴァンス伯位とは別)は姻戚関係から1062年時点でフランスのトゥールーズ伯家が得ていたが、そのトゥールーズ伯家最後の女伯ジャンヌ・ド・トゥールーズはフランス王ルイ8世の王子アルフォンス・ド・ポワティエと結婚した。これにより、1229年のモー条約(パリ条約)で、プロヴァンス辺境伯領とヴィヴァレを含むトゥールーズ伯家領はフランス王家のものとなった。14世紀初めにリヨンもフランスが併合した。1349年、ドーフィネの伯であったアンベール2世がフランスのシャルル5世賢明王にドーフィネを売却した。ドーフィネの伯位はフランス王太子の称号とされた(ドーファン)。さらに上ブルグントでも旧ブルグント総監領が13世紀末から14世紀にかけてスイス盟約者同盟に参加して独立戦争を繰り広げていた。 1365年、ルクセンブルク朝の皇帝カール4世(アルル王シャルル4世)はアルルで戴冠された最後のアルル王(ブルグント王)となった。この時点で神聖ローマ帝国に残されていたアルル王国の領邦はサヴォイア伯国のみで、残りはフランスの影響下にあるか、半ば独立しているかだった。そこでカール4世はまずサヴォイア伯国をアルル王国から切り離した。そして1378年、カール4世はドーフィネの伯、すなわちフランス王太子(ドーファン。このときのドーファンは後のフランス王シャルル6世)へアルル王国を名目的に支配する帝国摂政(皇帝代理職)の位を永久的に与えた。神聖ローマ帝国からフランス王国へのアルル王国割譲を正式に認めたことを意味し、これをもってアルル王国は消滅した。
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