帝国への野望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 16:21 UTC 版)
『infidoque tibi Burdundio ductu』の曖昧な記述によると、455年、ヴァンダル族によるローマ略奪に先立つ混乱の中、無名のブルグント人のリーダーが裏切り、ローマ皇帝ペトロニウス・マクシムスを殺害したらしい。貴族リキメルもまた非難された。この事件はブルグント人とリキメルの関係を示す最初のものである。リキメルはおそらくグンディオクの義兄弟で、グンドバト王子の叔父であったと考えられている。 明らかにブルグント人の権力は増大し、456年には地元のローマ元老院議員と領土拡張と権力分担と交渉した。 457年、リキメルは他の皇帝アウィトゥスを破ってマヨリアヌスを王位につけたが、この新しい皇帝はリキメルとブルグント人にとって役に立たなかった。即位の翌年、マヨリアヌスはブルグント人が2年前に得た土地を奪った。さらに独自の行動を行う兆候を見せたが、461年、リキメルによって殺害された。 その10年後の472年、西ローマ皇帝アンティミウスの婿となったリキメルは、グンドバト王子と共に義父の殺害を策略し、グンドバト王子は皇帝を斬首した。リキメルはオリブリオスを皇帝に任命したが、驚くべきことに帝位に就けた者も就いた者も2か月以内に病死した。グンドバト王子は、叔父リキメルの貴族そして皇帝擁立者としての地位を継承し、グリケリウスを帝位に就けた。 474年にはブルグント人のローマ帝国に対する影響力は失われていた。グリケリウスはユリウス・ネポスにより退位させられ、グンドバト王子はおそらく彼の父グンディオクの死によってブルゴーニュへと戻った。この時あるいは少しの後、ブルグント人の王国はグンドバトと彼の兄弟であるゴデギゼル(Godegisel)、キルペリク2世(Chilperic II)、ゴドマール1世(グンドマール1世)によって分割された。
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