東活映画社とは? わかりやすく解説

東活映画社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 07:13 UTC 版)

新京極にあった東活映画社の専門映画館「東活倶楽部」。その後「京極弥生座」を経て「新京極シネラリーベ」となるも2013年に閉館した[1]

東活映画社(とうかつえいがしゃ、1931年 設立 - 1932年 解散)は、かつて京都に存在した映画会社である。1976年から1991年に松竹系で約500本のピンク映画を製作配給した東活とは無関係である。

略歴・概要

かつてマキノ省三1921年(大正10年)に京都・等持院境内に建設した「等持院撮影所」をその後経営していた東亜キネマが業績不振に陥った1931年(昭和6年)9月、同社の代行をする会社として設立されたのが「東活映画社」である。等持院撮影所は「東活映画等持院撮影所」となり、東亜時代の撮影所長の高村正次は辞任、安倍辰五郎が所長に就任した[2]。安倍は東亜京都の最後の作品『薩南大評定 黄金篇』のプロデューサーであり、同作は翌10月15日に公開されたが、同じ座組みで製作したその続編『薩南大評定 万能篇』を同月31日に東活映画設立第一作として公開した。同作は、後藤岱山、橋本松男、堀江大生、重政順が監督として名を連ねる大作で、羅門光三郎原駒子、小川雪子が出演した。

1932年(昭和7年)10月、早くも「東活」は解散、等持院撮影所は閉鎖された。翌11月高村が復活し、東亜キネマを買収、「宝塚キネマ」を設立した。高村の新会社が稼動させた撮影所は御室撮影所であり、等持院は永遠に閉鎖、翌1933年(昭和8年)5月等持院撮影所は競売に伏された[2]。「東活」製作の最終作品、金田繁・大伴麟三監督、月形龍之介主演の『決戦荒神山』は、高村の「宝塚キネマ」の配給で1932年12月31日に公開された。

フィルモグラフィ

1931年
  • 薩南大評定 万能篇 監督後藤岱山・橋本松男・堀江大生・重政順
  • 愛に餓ゆる街 監督三星吐詩夫
  • 天眼通 女難時代 監督米沢正夫
  • 埠頭に灯あり 監督古海卓二
  • 炭焼小屋 監督大江秀夫
  • 荊棘の蔭に泣く 監督安藤五郎
  • 天秤棒男一匹 監督橋本松男
  • 母よその名を汚す勿れ 監督米沢正夫
  • 閃影双刃録 監督金田繁
  • 振袖勝負 監督滝沢英輔 ※沢村国太郎プロダクション提携作品
  • 天国の裏町 監督大江秀夫
  • 小松竜三 監督豊永大蔵
  • 噫! 南嶺三十八勇士 監督井出錦之助
1932年
  • 鉄腕書生 監督井出錦之助
  • 白蝶秘門 前篇 監督並木鏡太郎
  • 天眼通 腰弁時代 監督米沢正夫
  • 南地囃子 監督久保義郎
  • 白蝶秘門 後篇 監督並木鏡太郎
  • 大江戸評判記 監督山口哲平
  • 暁の鶴声 監督古海卓二
  • 天眼通 飛躍時代 監督米沢正夫
  • やくざ仁義 監督古海卓二
  • 街の旋風児 監督大江秀夫
  • 唐草太平記 監督滝沢英輔
  • トタンに可愛くなったのよ 監督三星吐詩男
  • 炎上誉の纏 監督橋本松男
  • 暗黒街の英雄 監督石原英吉
  • 決戦大利根の暁 監督橋本松男
  • 若殿行状記 監督豊永大蔵
  • 評判影法師 監督古海卓二
  • ルンペンと孤児 監督古海卓二
  • 忠烈肉弾三勇士 監督古海卓二
  • 錦西の血陣 古賀聯隊 監督井出錦之助
  • 馬上豊かに美少年 監督豊永大蔵
  • 嘆きの夜曲 監督三星吐詩夫
  • 大岡政談 十三夜見物侍 監督滝沢英輔 ※沢村国太郎プロダクション提携作品
  • 寛永豪傑総進軍 前後篇 監督豊永大蔵
  • 戦線黎明の号破 監督金田繁
  • 嗚呼空閑少佐 監督大庭喜八
  • 凱旋 監督安藤太郎
  • 攻防楼閣の巨人 監督枝正義郎・宇沢義之
  • 忠臣蔵家九郎 監督志波西果
  • 明暗日浪帖 監督並木鏡太郎
  • 天眼通 黄金時代 監督米沢正夫
  • 道中評判影法師 監督古海卓二
  • 上海の快男児 監督石原英吉
  • 涙の曙 監督三星吐詩夫
  • 鉄腕抜刀隊 監督豊永大蔵
  • 砂漠の真珠 監督久保義郎
  • 無念流命の安売 監督下村八郎
  • 黒い旋風 監督井出錦之助
  • きさらぎ九平 監督後藤岱山
  • 名金 監督後藤岱山
  • 懐かしの吾が子 監督石原英吉
  • 夜明けの女 前篇 監督志波西果
  • 母の秘密 監督米沢正夫
  • 元禄染曾我兄弟 監督豊永大蔵
  • 海軍士官 監督石原英吉
  • 笑ふ街 監督大江秀夫
  • 英五郎旅姿 監督宇沢義之
  • 偽はれる夫 監督大庭喜八
  • 珍勇紙くづ剣法 監督下村八郎
  • 二つの乳房 監督安藤五郎
  • 妙法院勘八 前篇 監督後藤岱山
  • 稲田一作 前篇 監督大庭喜八
  • 妙法院勘八 後篇 監督後藤岱山
  • 助太刀辻講釈 監督滝沢英輔
  • 稲田一作 満腹の巻 監督大庭喜八
  • 主の内お洒落模様 監督三星吐詩夫
  • 鳥越やくざ道場 監督宇沢義之
  • 三千世界膝栗毛 へそ取り天上の巻 監督後藤岱山
  • クロール賭けて 監督大江秀夫
  • 名金 第二篇 監督後藤岱山
  • カポネ再現 監督久保義郎
  • 夜明けの女 後篇 監督志波西果
  • 小松竜三 後篇 監督金田繁
  • 侍巾着切 監督宇沢義之
  • 街の標識燈 監督石原英吉
  • 侠客忠臣蔵 陣の巻 監督後藤岱山
  • 侠客忠臣蔵 闘の巻 監督後藤岱山
  • 跳躍天国 監督大江秀夫
  • 若いマドロス 監督大庭喜八
  • 青空高く 監督井出錦之助
  • 北満の落花 大和桜 監督井出錦之助
  • 決戦荒神山 監督金田繁・大伴麟三宝塚キネマ配給作品

  1. ^ 戦前期日本の映画館写真(4)京都編”. NFCデジタル展示室. 東京国立近代美術館フィルムセンター (2014年4月8日). 2017年1月30日閲覧。
  2. ^ a b 立命館大学の「京都映像文化デジタル・アーカイヴ マキノ・プロジェクト」サイト内の「等持院撮影所」の記述を参照。

外部リンク


東活映画社

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新見映郎」の記事における「東活映画社」の解説

すべて製作・配給は「東活映画社」である。 『黒い旋風』 : 監督井出錦之助、1932年5月29日公開海軍士官』 : 監督石原英吉、1932年6月24日公開助太刀辻講釈』 : 監督滝沢英輔1932年7月28日公開 - 此用人カポネ再現』 : 監督久保義郎1932年9月8日公開

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「東活映画社」を含む「新見映郎」の記事については、「新見映郎」の概要を参照ください。

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