宝塚キネマ興行
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寶塚キネマ興行株式會社(たからづかキネマこうぎょう)は、かつて京都に存在した映画会社である[1][2][3][4]。高村正次と南喜三郎が設立、正映マキノキネマの御室撮影所と、東亜キネマの配給興行網と、阪急電鉄の小林一三の資本を仰いで設立されたが、設立わずか半年で経営が崩壊、賃金未払いが起きる[1][2]。設立1年少々で解散した。通称宝塚キネマ(たからづかキネマ)[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k 御室撮影所、立命館大学、2008年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 宝塚キネマ興業株式会社撮影所 労働争議 1、法政大学大原社会問題研究所、2014年4月15日閲覧。
- ^ a b c d e 宝塚キネマ興業株式会社撮影所 労働争議 2, 3, 4、法政大学大原社会問題研究所、2014年5月15日閲覧。
- ^ a b c d 宝塚キネマ興業株式会社撮影所 労働争議 6, 8, 9、法政大学大原社会問題研究所、2014年4月15日閲覧。
- ^ a b 京都府京都市右京区花園天授ケ岡町14番地、Google ストリートビュー、2009年11月撮影、2014年4月15日閲覧。
- ^ a b 柾木四平 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ a b 豊島龍平 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ a b 片山伸二 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ 森山[1984], p.284.
- ^ 仁科熊彦 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ 堀江大生 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ 大江秀夫 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ 久保為義 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ 後藤岱山 - 日本映画データベース、2014年4月15日閲覧。
- ^ 小林[1937], p.6.
- ^ マキノ[1977], p.165-166.
- ^ a b 孝子五郎正宗、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年9月30日閲覧。
- ^ a b 韋駄天数右衛門、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年9月30日閲覧。
- ^ a b 護持院ヶ原の火華、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年9月30日閲覧。
- ^ a b 田宮坊太郎 春風礫の剣法、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年9月30日閲覧。
- ^ 第615回無声映画鑑賞会、マツダ映画社、2014年4月15日閲覧。
- ^ 艶姿影法師 前篇・陽炎篇 後篇・蒼弓篇、マツダ映画社、2014年4月15日閲覧。
- ^ 第626回無声映画鑑賞会、マツダ映画社、2014年4月15日閲覧。
- 1 宝塚キネマ興行とは
- 2 宝塚キネマ興行の概要
- 3 脚注
宝塚キネマ
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全て製作・配給は「宝塚キネマ興行」、全てサイレント映画、以降全て「市川竜男」名義である。 『天変二筋道』:監督堀江大生、1933年4月7日公開 - 養子左馬之介(主演) 『鳴子八天狗 前篇』:監督後藤岱山、1933年6月1日公開 - 島原政弥(宇津木政弥) 『搦繰大納言』(『からくり大納言』):監督堀江大生、1933年6月9日公開 - 萩田頼母 『巷説どくろ頭巾』:監督仁科熊彦・大伴麟三、1933年8月1日公開 『仮面の紅騎兵』:監督堀江大生、1933年9月8日公開 - 弟英三郎 『神風八幡隊 前篇』:監督堀江大生、1933年9月14日公開 - 尾形宅馬 『神風八幡隊 後篇』:監督堀江大生、1933年10月12日公開 - 尾形宅馬 『艶姿影法師 陽炎篇』:監督仁科熊彦、1933年11月1日公開 - お小姓伝次
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