山田浅右衛門
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山田 浅右衛門(やまだ あさえもん)は、江戸時代に御様御用(おためしごよう、御試御用)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主代々の名乗り。ただし、歴代当主には「朝右衛門」を名乗った人物もいる。死刑執行人も兼ね、江戸時代から首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれていた[1]。
注釈
- ^ 吉時を初代とみなす場合は1例のみとなる。
- ^ 戦国時代に来日したルイス・フロイスは「ヨーロッパでは刀剣の切れ味を試すため動物を用いるが、日本人はそういった方法を信用せず、必ず人間の死体を用いた」と記している。
- ^ 当時、「客に心変わりしない」という証明のために、遊女が小指を切って渡す風習があった。
- ^ ただし、事実か定かでないが、旧刑法施行後の1886年(明治19年)12月に「青森の亭主殺し」事件の加害者である小山内スミと小野長之助の公開斬首刑が青森県弘前市の青森監獄前で行われた。この時2人の斬首刑に兼平巡査が斬首刑の執行人として、死刑執行者付添役に森矯(東奥義塾教師)がそれぞれの任を果したと言われている。しかし、このことが事実である場合、この死刑執行は事実上の斬首刑の最後であると共に、官憲による日本国内における一般刑法犯に対する最後の非合法(当時の旧刑法では非公開絞首刑のみ)の死刑執行かつ公開処刑であると言わざるを得なくなる[13]。
出典
- ^ 氏家 2016, pp. 120–122.
- ^ a b 氏家 2016, p. 92.
- ^ 氏家 2016, p. 94.
- ^ 氏家 2016, p. 95.
- ^ 氏家 2016, pp. 95–98.
- ^ 氏家 2016, pp. 98–99.
- ^ 氏家 2016, pp. 115–116.
- ^ 氏家 2016, pp. 116–118.
- ^ 氏家 2016, p. 111.
- ^ 氏家 2016, pp. 140–147.
- ^ a b 櫻井悟史 (2009-03-31). “斬首を伴う「死刑執行人」の配置に関する考察 -公事方御定書から旧刑法にいたるまで” (日本語). Core Ethics : コア・エシックス (立命館大学大学院先端総合学術研究科) 5: 171-180. doi:10.34382/00005419. ISSN 1880-0467. NAID 110007077223 2020年10月24日閲覧。.
- ^ 山下恒夫 (1988-04-01), 明治東京犯罪暦 明治元年~明治23年, 東京法経学院出版, pp. 148-155, ISBN 4808944383, NCID BN02158260
- ^ 手塚豊 (1960-04), 刑罰と国家権力 国家的刑罰権と非国家的刑罰権――明治前期の場合に関する一未定稿, 法制史学会, pp. 182-185, doi:10.11501/2527269, NCID BN0366777X
- ^ a b c d e f g h 氏家 2016, pp. 246–250.
- ^ 『明治百話』篠田鉱造 著、角川学芸出版、2010年3月 ISBN 978-4-04-622093-6 p27-36
- 1 山田浅右衛門とは
- 2 山田浅右衛門の概要
- 3 前史
- 4 その他の逸話
- 5 著書
- 6 参考文献
山田朝右衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:10 UTC 版)
斬首用の白大刀、もしくは通常の大刀で、悪人を斬り倒す。悪人を大刀で突き刺し、止めに相手の首筋を切ることが多い。第9話と第17話、第18話、『必殺スペシャル・新春 せんりつ誘拐される』では、白大刀を使用せず、通常の大刀を使用している。
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山田 朝右衛門
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