歴代の山田浅右衛門
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山田浅右衛門家は三河国出身で、徳川家康の側室であった茶阿局の一族であったと伝わる。茶阿局の子であった松平忠輝の重臣に山田重辰や茶阿局の甥とされる山田勝重ら山田姓の者がいるが、彼らは茶阿局の縁で取り立てられたと伝わる。のち松平忠輝が改易処分となった際、山田重辰は切腹となり、子らは浪人となった。初代の貞武は重武の子孫と伝わる。ただし、重辰は忠輝が養子となった長沢松平氏の古参家臣であったとも伝えられるため、茶阿局との縁という話には齟齬が生じる可能性がある。 初代 山田浅右衛門貞武(1657年 - 1716年) 2代 山田浅右衛門吉時( ? 年 - 1744年) 3代 山田浅右衛門吉継(1705年 - 1770年) 4代 山田浅右衛門吉寛(1736年 - 1786年) 5代 山田浅右衛門吉睦(1767年 - 1823年) - 門人。3代吉継の娘の嫁ぎ先である湯長谷藩士の三輪源八の子。後に朝右衛門と名乗ったため、以降の当主は朝右衛門となる 6代 山田朝右衛門吉昌(1787年 - 1852年) - 門人。三輪源八の養子。元は幕臣(紅葉山掃除役)の遠藤次郎兵衛の子。 7代 山田朝右衛門吉利(1813年 - 1884年) - 門人。新見藩士で門人の後藤五左衛門の子。5代目の養子である吉寧の娘(6代目の養女)と結婚。吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎ら、安政の大獄の犠牲者を処刑。 8代 山田浅右衛門吉豊(1839年 - 1882年) - 7代目の子。 以上、浅右衛門之碑に残る山田浅右衛門 9代 山田吉亮(1854年 - 1911年) - 8代目の実弟、7代目の三男。試し斬りの技に長け、大久保利通暗殺犯の島田一郎らや、高橋お伝を処刑するなど、8代目に代わる働きをした。このため、永島孫一は9代目、福永酔剣は閏8代としている。篠田鉱造も8世とし、『明治百話』に本人のインタビュー記事を収録している。
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