山川町民会館図書室とは? わかりやすく解説

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山川町民会館図書室(1979-1995)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:53 UTC 版)

指宿市立図書館」の記事における「山川町民会館図書室(1979-1995)」の解説

1978年昭和53年)、図書館位置山川町民会館を建設することになり、山川町立山川中学校(現・指宿市立山川中学校)の図書室移転した山川町民会館は1979年昭和54年11月1日開館し2階図書室設けられた。山川町民会館は山川町町制50周年記念の年に開館した町内初の冷暖房完備施設であり、こけら落としの席で当時町長が「文化殿堂」として活用していくと表明した。名称上は図書館から図書室へ「降格」した形であったが、床面積は168m2と広くなり、図書館時代より活動活発化した。しかし、専門職員として司書配置することは叶わなかった。 1980年昭和55年)、日本国補助金得て山川町初のボランティア活動である「婦人読書ボランティア活動」が開始された。この活動には20人の女性参加登録し、読み聞かせ紙芝居などの理論実技学習し成果町内保育園老人クラブなどで披露するというもので、同年一坪図書館設立へ導く原動力となった1981年昭和56年時点蔵書数は7,517冊で、図書室活動活発化対応するため、半日勤務臨時職員配置した1983年昭和58年)にはPTA公民館など連携して朝読み・夕読み活動」を展開した。この活動はかつて盛んであった輪読素読現代風に再生しようとしたもので、朝または夕方5 - 10分間音読推進した読書対象図書館の本から教科書新聞までありとあらゆる活字媒体利用された。この活動は後に衰退するが、利永地区には定着した図書室職員はこうした活動実績示しつつ、「線香の火では風呂沸かせない」という椋鳩十言葉引用して山川町図書購入費の増額求め1982年昭和57年)に43万円だったものが、1984年昭和59年以降毎年140万円前後計上されるようになった。更に図書館の本子供届けよう1987年昭和62年)から保育園に園文庫を、1988年昭和63年)から小学3年生教室学級文庫開設し1989年平成元年)には小学2年生教室にも文庫開設した利用状況学級担任意欲によりクラスごとの差が大きかったものの、1990年平成2年)度は児童1人当たり月4冊に相当する年間15,000冊を貸し出すという想定上の実績挙げた1985年昭和60年)には1万冊弱だった蔵書1989年平成元年)には約2万冊にまで増加し同年より開館時間を1時間延長し18時までとした。1時間延長功を奏し仕事終えた漁業関係者児童・生徒来館増加したこの年から貸出冊数を3冊から5冊に増やし15日間借りれるように変更した。しかし利便性という点では、土日休館であること、カウンター職員1人かいないことが課題として残っていた。

※この「山川町民会館図書室(1979-1995)」の解説は、「指宿市立図書館」の解説の一部です。
「山川町民会館図書室(1979-1995)」を含む「指宿市立図書館」の記事については、「指宿市立図書館」の概要を参照ください。

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