山川町民会館図書室(1979-1995)
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「指宿市立図書館」の記事における「山川町民会館図書室(1979-1995)」の解説
1978年(昭和53年)、図書館の位置に山川町民会館を建設することになり、山川町立山川中学校(現・指宿市立山川中学校)の図書室へ移転した。山川町民会館は1979年(昭和54年)11月1日に開館し、2階に図書室が設けられた。山川町民会館は山川町の町制50周年記念の年に開館した町内初の冷暖房完備の施設であり、こけら落としの席で当時の町長が「文化の殿堂」として活用していくと表明した。名称上は図書館から図書室へ「降格」した形であったが、床面積は168m2と広くなり、図書館時代より活動は活発化した。しかし、専門職員として司書を配置することは叶わなかった。 1980年(昭和55年)、日本国の補助金を得て山川町初のボランティア活動である「婦人読書ボランティア活動」が開始された。この活動には20人の女性が参加登録し、読み聞かせや紙芝居などの理論と実技を学習し成果を町内の保育園や老人クラブなどで披露するというもので、同年の一坪図書館の設立へ導く原動力となった。1981年(昭和56年)時点の蔵書数は7,517冊で、図書室活動の活発化に対応するため、半日勤務の臨時職員を配置した。1983年(昭和58年)にはPTAや公民館などと連携して「朝読み・夕読み活動」を展開した。この活動はかつて盛んであった輪読や素読を現代風に再生しようとしたもので、朝または夕方に5 - 10分間の音読を推進した。読書の対象は図書館の本から教科書、新聞までありとあらゆる活字媒体が利用された。この活動は後に衰退するが、利永地区には定着した。 図書室職員はこうした活動実績を示しつつ、「線香の火では風呂は沸かせない」という椋鳩十の言葉を引用して山川町に図書購入費の増額を求め、1982年(昭和57年)に43万円だったものが、1984年(昭和59年)以降は毎年140万円前後計上されるようになった。更に図書館の本を子供に届けようと1987年(昭和62年)から保育園に園文庫を、1988年(昭和63年)から小学3年生の教室に学級文庫を開設し、1989年(平成元年)には小学2年生の教室にも文庫を開設した。利用状況は学級担任の意欲によりクラスごとの差が大きかったものの、1990年(平成2年)度は児童1人当たり月4冊に相当する年間15,000冊を貸し出すという想定以上の実績を挙げた。 1985年(昭和60年)には1万冊弱だった蔵書は1989年(平成元年)には約2万冊にまで増加し、同年より開館時間を1時間延長し18時までとした。1時間の延長は功を奏し、仕事を終えた漁業関係者や児童・生徒の来館が増加した。この年から貸出冊数を3冊から5冊に増やし、15日間借りれるように変更した。しかし利便性という点では、土日が休館であること、カウンター職員が1人しかいないことが課題として残っていた。
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