宮島線との直通運転開始とは? わかりやすく解説

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宮島線との直通運転開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:21 UTC 版)

広島電鉄」の記事における「宮島線との直通運転開始」の解説

市内線車両は、1951年昭和26年3月には800形初代)10導入。同じ年に150形車体更新始まった1953年昭和28年9月には500形2代)を5両導入。その年に更新を受けなかった100形初代)全車廃車になった1955年昭和30年3月には550形を5両導入551のみ製造当初は間接制御採用し宮島線との直通許可受けていた。 宮島線車両は、京阪神急行電鉄現在の阪急電鉄)より、1947年昭和22年2月に1050形を購入1954年昭和29年)に全鋼車両更新した1957年昭和32年)に1060形導入最後新製高床車になり、直通形の増備移行した1955年昭和30年)頃、国鉄山陽本線路線バスとの競合により、宮島線利用者数は伸び悩んでいたため、当時バス事業郊外路線延長利用者数が伸びていたこと、以前より千田車庫での整備のために連絡線もうけられていたが、1957年3月太田川放水路整備による区画整理により、己斐駅西広島駅移転の必要があったことより市内線宮島線直通させることを計画市内線用低床車両乗り入れる方式採用した。それに併せて宮島線の各駅に低床用のホーム整備行い1957年昭和32年5月己斐電停西広島駅移転完了1958年昭和33年4月より団体貸し切り列車として直通運転開始した1962年昭和37年1月広島駅から広電廿日市駅まで15分間隔定期運転を開始定期運転開始併せて、オリエントピーチの車体色ベネチアンレッドの帯を配した直通色」が登場した1963年昭和38年5月には広電宮島口駅まで延長された。 直通車両増備され、550551をはじめ、1958年昭和33年3月には850形を3両導入1960年昭和35年)より2000形1961年昭和36年)より2500形導入開始した2004号については、経費削減広電チャレンジ精神より、日本車輌製造製造したフレームに、自社鋼製車体を組み立て1962年昭和37年11月竣工した2000形については同年末までに合計6両を製造その後2500形にも同様に製造した車両がある。 また沿線整備進められ楽々園遊園地施設整備および別会社への移管宮島方面は、1958年昭和33年3月宮島松大観光船(現・宮島松大汽船)に出資1959年昭和34年4月に、広島電鉄大株主広島観光開発が、『宮島ロープウエー』を開通1965年昭和40年)には、現在『宮島口もみじ本陣』を運営している『広電宮島ガーデン』を設立した

※この「宮島線との直通運転開始」の解説は、「広島電鉄」の解説の一部です。
「宮島線との直通運転開始」を含む「広島電鉄」の記事については、「広島電鉄」の概要を参照ください。

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