宮島説の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
しかし、1980年代に入ると神護寺三像をめぐる条件が大きく変わっていく。まず、1979年秋から1年半をかけて三像は修理され、制作当初の美しさを取り戻した。更に1983年、詳細な修理報告書が発行されたことで、研究条件は大きく前進した。ついで1984年に宮島新一によって、神護寺三像と『神護寺略記』とを結びつける通説に疑問が出され、10年後に出版した自著で、平緒の色感と嘉禄元年(1225年)の自賛をもつ「俊芿像」の人物表現との類似から、その翌年に完成した北白河院による神護寺再興事業に伴って制作されたとする説を提出した。現在、宮島の説を支持、或いは好意的な美術史家は複数存在し、彼らは神護寺三像は13世紀前半の作品だとしている。
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