宅八郎を称す
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1989年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者・宮崎勤の逮捕によって"オタク"という概念に注目が集まる中、日本独特のオタク文化というものの発生に衝撃を受け、それまでも記事を書いていた『週刊SPA!』上で、1990年2月の全16ページの特集記事「『おたく』が世紀末日本を動かす!」にて「オタク評論家 宅八郎」として登場。翌年、雑誌だけでなく森高千里のフィギュアとマジックハンドに紙袋を持つという姿で『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』などのようなテレビ番組をはじめとする各種媒体に出演し、お茶の間に宅自身とそれが演じる"オタク"に対する強烈な印象を与えた。ただし、この宅が扮装した「オタク」の格好は宅自身の嗜好に基づいて選ばれた服装ではなく、戯画的にオタクを演出するために、あえてダサイ服に着替えていたものだった。宅は東レの研究員であったといい、服飾に関しては繊維の基礎的な知識から持ち合わせていて、ブランド物については蘊蓄を傾けることができるほど造詣が深かった。 1990年秋には、『月刊プレイボーイ』専属モデルの撮影を同誌編集者の宮崎幸男に妨害されたとして、謝罪を要求したが、宮崎からは拒否された。そこで、宅はその顛末を『週刊SPA!』の連載で取り上げ、宮崎の個人情報を暴露したことから、『週刊プレイボーイ』のフリーライター・小峯隆生からは、「おまえ、宮崎さんにひどいことをしたな」、「この業界で食っていけないようにしてやる」などと脅迫されたため、共演したテレビ番組の出演中に宅は小峯の目の前で『週刊プレイボーイ』を破り捨てた。さらに宅は「小峯隣人化計画」と称して小峯の自宅マンションの隣室に転居し、ベランダに広角レンズでビデオカメラを設置して小峯夫妻の私生活を仔細に観察し、観察の結果を『噂の眞相』の連載コラムで発表。このため小峯が宅を民事訴訟し、裁判所に仮処分申請を求める騒ぎに発展した。 これ以降、宅は「処刑執行人」と称し、「復讐」という名目で、論争相手の個人情報を一般雑誌の紙面で公開するほか、論争相手に対する嫌がらせを自らの連載の中で公表したり、「やっちゃえ! OK!」・「○○を殺す!」などと読者を煽ったりするようになる。また、宅が「復讐」と称する嫌がらせ行為は2017年の法律ではストーカー行為を認定されるほどのレベルにまでエスカレートすることも多く、標的の人物から、住居侵入・強要・威力業務妨害で被害届が出されたり、宅本人や『噂の真相』編集部に警察の強制捜査が入ると噂されたりすることがあった[要出典]。 『噂の眞相』では、『断筆宣言』を発表して連載を降りた筒井康隆に代わって田中康夫に連載執筆を依頼したところ、宅の連載が一時休載することになった。その後、宅がこの一件について田中を攻撃したが、田中から連載上で反論されて激昂し、田中の車や家の一部を破壊したり、白紙のファクシミリを送り続けたりするなどの嫌がらせを繰り返し、田中の自宅前で騒ぐ宅を怖がった近隣住人から警察に通報されるなどの騒ぎとなった。その後安部譲二の仲介もあって一度は和解したものの、両者の間で板ばさみ状態になった編集長の岡留安則は胃潰瘍になった[要出典]。 1994年11月2日には、同年7月22日に宅の自家用車で駐車場を出る際、隣の車をこすったにも関わらずそのまま走り去ったとして、道路交通法違反(当て逃げ)の容疑で警視庁代々木警察署に逮捕されたが、宅本人は上記「週刊ポスト」担当デスクの事件による別件逮捕と主張している。 これらの騒動や当て逃げ容疑での逮捕も重なり、『噂の眞相』の連載も遂に打ち切られるが、扶桑社の『SPA!』に移籍し、新たな連載の仕事を得た。
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