宅八郎事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:39 UTC 版)
1994年、「断筆宣言」を発表して終了した筒井康隆の連載「笑犬樓よりの眺望」に代わり、田中康夫の連載「東京ペログリ日記」を開始したところ、以前より宅八郎が田中康夫を批判していた連載「業界恐怖新聞」が一時休載することになった(宅によれば、「自分が攻撃/批判している人物との同一媒体への寄稿を控えたいという意志を通せなくなるために編集部との話し合いがこじれて休載になった」という)。 その上に宅八郎が田中康夫の住居に押し掛けた上に、田中の愛車のランチア・テーマに硫酸と思しき液体をかけた上にトランクを壊すなどの行為を働き近所の住人が通報、宅が警察署に連行され取り調べを受けるなど揉めたため、両者の間で板ばさみ状態になった編集長・岡留安則は、心労で胃潰瘍を患い、胃に穴が開いたという。 その後安部譲二の仲裁により一度は和解したものの、さらに宅八郎が当て逃げの容疑で逮捕される公算が高くなり(のちに逮捕されたが、保釈された)、これに関連して編集部に警察の家宅捜索が入る懸念が生じたことを理由に「業界恐怖新聞」の連載を打ち切った。ただし、後に宅八郎が『SPA!』での連載を休載に追い込まれた際は、宅八郎の反論原稿を掲載している。
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