奏状の内容と性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 04:03 UTC 版)
奏状は、専修念仏を非難する理由として、 「新宗を立つる失」- 正統な論拠を示すことなく、勅許も得ずして、新しい宗派を立てること。 「新像を図する失」- 専修念仏の徒のみが救済されるという、根拠に乏しい図像を弄すること。 「釈尊を軽んずる失」- 阿弥陀如来のみを礼拝して仏教の根本を説いた釈迦を軽んずること。 「万善を妨ぐる失」- 称名念仏だけを重んじて造寺造仏などの善行を妨害すること。 「霊神に背く失」- 八幡神や春日神など日本国を守護してきた神々を軽侮すること。 「浄土に暗き失」- 極楽往生にまつわる種々の教えのなかで特殊で偏向した立場に拘泥すること。 「念仏を誤る失」- さまざまな念仏のなかで、もっぱら称名念仏に限って偏重すること。 「釈衆を損ずる失」- 往生が決定したなどと公言して悪行をはたらくことをおそれない不心得な念仏者が多いこと。 「国土を乱る失」- 国を守護すべき仏法の立場をわきまえず、正しい仏法のあり方を乱してしまうこと。 という具体的で詳細な「9か条の失」を掲げた。 冒頭において奏状は、日本に古来あるのは八宗(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗の南都六宗および天台宗・真言宗の平安二宗)のみであり、それ以外の新宗が立てられたことは今まで絶えてなかったと述べ、法然がいま無断に開宗することは不当であるとして、たとえ法然自身が立宗に堪えられるだけの智慧や能力を有していたとしても、朝廷に上奏して勅許を得て開宗するのが道理であると主張している。 また、副状が1通添えられており、その内容は専修念仏の停止と法然師弟の処罰を朝廷に請うものであった。これは、専修念仏とそれによる他力往生の提唱が顕密諸宗に対して、きわめて大きな脅威をあたえていたことを示すものであり、攻撃対象は、法然その人ばかりではなく、むしろ法然に帰依した「無智不善の輩」に対して向けられていた。というのも、3.、4.、5.、7.のように専修念仏の徒は念仏以外のいっさいの信仰を否定する傾向が顕著であり、8.にみられるように、極端な例では、罪業深き悪人でさえ救済されるのであるから、戒律や道徳は無視してよいと考える狂信的な人びとを含んでいたからであった。 奏状はさらに、浄土宗の教えは京都周辺ではまだ穏やかなものだが、北陸地方や東海地方などではさかんに破戒がおこなわれていると訴えている。これは、1.、5.、9.で主張しているように、つねに国家と結びつき、「王法すなわち仏法」の立場に立って鎮護国家の思想を前面に打ち出していた既成の教団にとって強い危機感を生じさせるものであった。ここには、八宗が並んで国を護ることが日本仏教のあるべき姿であるという主張と、すべての経典・経論を見わたしたうえで、あらゆる立場に対しそれぞれ得るところありとするような教学大系の保持が尊重されるべきであり、特殊な教説を選択してそこに固執するという信仰姿勢は容認できない異端の説であるという主張がみとめられる。 一方、こうした見方に対する批判として、前後の文とのバランス上法諱(源空)を用いなければならない部分を除いて、本文中のおける法然への呼称は、「上人」か房号(法然)であって一定の敬意が払われていること、法然本人に対する非難は1.、2.、6.しか該当せず、もっぱら弟子の行動を問題視していることを挙げ、貞慶は法然本人よりも放埓不羈な行動を繰り返す弟子を批判するために奏状を出したもので、法然に対してはその行動の原因となっている専修念仏宗義の一部を見直してもらうように朝廷へ働きかけることが目的であったとする。
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