失われた美術品とは? わかりやすく解説

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失われた美術品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 14:52 UTC 版)

失われた美術品英語: Lost artworks)とは、 かつて存在したことが確認されているものの、現時点における美術館(または個人)の所蔵を確認できない美術品をさす。このような状況におかれる理由としては、故意または過失による損壊や、無知や審美眼英語版の欠如に由来する。

自然災害や戦争といった歴史的な出来事が美術品の損壊や散逸を招いた例もある。たとえば、第二次世界大戦においてはナチス・ドイツによる略奪が展開されていた。うちナチス・ドイツが占領下においていたポーランドから持ち出したアレッサンドロ・トゥルキの絵画『聖母子』は1990年代にニューヨークで競売にかけられる形で見つかり、2022年にも競売にかけられる予定だったが、ポーランド政府によって止められ、2023年に返還された[1]。また、ナチスがユダヤ人画商ヒルデブラント・グルリットを通じて集めたグルリット コレクション英語版は、ヒルデブランドの死後、息子のコルネリウスに相続された[2]。その後、コルネリウスの脱税によりこのコレクションの存在が露となり、略奪品と判明したものは元の持ち主やその遺族に返還され、それ以外はコルネリウスのもとに返されたのち、彼の死後スイスのベルン美術館に遺贈された[2]

無名作家と誤認された例としては、カラヴァッジオの『エッケ・ホモ』が該当し、これが彼の作品だと気づいたスペイン政府が安価で競売にかけられるのを阻止した[3]

発注元と作者とのトラブルで破壊(もしくは撤去)に至った例としては、ディエゴ・リベラ の『十字路の人物英語版[4]などが該当するほか、安全上の理由によるものとしてはリチャード・セラの『 ティルテッド・アーク(傾いた弧)英語版[5]が挙げられる。

凡例

  • ヴァリアントが存在する作品の場合は、現存する他の作品と区別がつくようにする。
  • 「アイテムが壊されることで芸術作品として完成する」という趣旨の作品は含まない。

所在調査中の作品

失われた美術品や骨とう品を調査する会社としては、イギリスのアート・ロス・レジスター英語版が挙げられる。また、アメリカではFBIがアメリカ国内外で盗まれた美術品をまとめたリストを公開している[9][10]ほか、国際刑事警察機構も同様のアプリを公開した[11][12]

現存しない作品

作品名・作者 制作時期 所在不明となった時期 備考
ペイディアスアテナ・パルテノス立像英語版 -447447 BCE 950 元々はParthenonにあった。レプリカなどは現存。
リュシッポス 『アギアス像 』(ブロンズ像) -399399-400 BCE デルポイにて大理石による複製が見つかっている
リュシッポス 『弓を張るエロス』(ブロンズ像) -399399-400 BCE 複数の複製が現存
リュシッポス『アレクサンドロス3世像』( Alexander the Great、ブロンズ像) -356356-323 BCE
リュシッポス 『油そそぎ英語版』(ブロンズ像) -340 340-330 BCE ローマ時代に制作された大理石像は現存
リュシッポス Hercules英語版(ブロンズ像) -340 340-330 BCE グリコン(Glykon)による大理石の複製は現存
リュシッポス『アポクシュオメノス』(ブロンズ像) -330 330 BCE 大理石による複製は現存
ルカ Hodegetria 0060 60-84 AD 1261 複製は現存
ジョット・ディ・ボンドーネ Madonna panel 1297-1337 1406- 1370年にペトラルカからフランチェスコ・ノヴェロ・ダ・カッラーラ英語版(子)へ遺贈された
Scolland/カンタベリーのランフランクス (attrib.)ほか『バイユーのタペストリー』(一部) 1070-1079 1137-(?) アデル・ド・ノルマンディーが所有していたと思われるが、財産分配よって散逸した
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ Virgin of the Assumption英語版 1308 1771 『マエスタ』の一部だが、解体された。
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャAscension of Christ]] 1308 1771 『マエスタ』の一部だが、解体された。
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャChrist in Majesty]] 1308 1771 『マエスタ』の一部だが、解体された。
ジョット Stories of the Apostles (フレスコ画) 1314-1328 1700-1799 サンタ・クローチェ聖堂の Giugni Chapelのために制作。 漆喰によって塗りつぶされた
シモーネ・マルティーニ 『ラウラ』Laura 1327-1344 ペトラルカが1372年に発表した詩に登場するロール・ド・ノーヴ英語版をモデルとした作品
ジョット Commune of Florence allegorical fresco 1328-1337 ポデスタ宮殿にて所蔵。
ヤン・ファン・エイク Woman Bathing英語版 1420-1430 1628年以降 ヴィレム・ファン・ハーヒトの 『コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室』にて引用あり。また、1628年に制作された複製画がアントワープにある
フラ・アンジェリコ Painted Crucifix 1423 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の委託で制作した。
ヤン・ファン・エイク『正しき裁き人英語版 1430-1432 1934 ヘントの祭壇画の一部で、1934年に盗まれた。原物の写真および、複製品は現存。
パスキエ・グルニエ英語版 (produced through) Great History of Troy tapestries 1488 1829 1490年から1799年までは[[Painted Chamber]にて保管されていた。また、 John Carterがこのタペストリーをもとにした水彩画を制作している。 1829年の時点ではTeschemacherという人物の手元にあった。
トゥッリオ・ロンバルド|en|Tullio Lombardo}}『イヴ英語版 1490 1819 アンドレア・ヴェンドラミンイタリア語版の墓が サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂に移送される際に散逸した。なお対となる『アダム』は現存
ジョルジョーネ The Birth of Paris 1492-1510 1650- ダフィット・テニールス (子)による複製は現存。また、2人の羊飼いのパーツは ブダペスト国立西洋美術館にあるとされている。
ヴィットーレ・カルパッチョ聖ステファノの説教 1511-1520 1806 連作の一つで、ナポレオン軍により略奪英語版。モデル用の素描は現存。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「メデューサ」(Medusa 、未完) 1500年以前 1553-1599 コジモ1世が所蔵していた
レオナルド・ダ・ヴィンチ 『レダと白鳥 1508 1625- フォンテーヌブロー宮殿にて所蔵されていた。複製の所在についてはレダと白鳥 (レオナルド)を参照。
レオナルド・ダ・ヴィンチ アンギアーリの戦い 1505 1555-1572 ヴェッキオ宮殿にて所蔵されていた。
コレッジョ en:Albinea Madonna 1517-1519 1657- 神聖ローマ皇帝 レオポルト1世が所蔵していた
ミケランジェロレダと白鳥 1530 Antonio Miniへ贈られ、フランスへ輸送する途中で所在不明となった。1537年にコルネリス・ボスが制作した版画のみ現存
ミケランジェロ『ヘラクレス』(Hercules、大理石像) 1492-1494 1713-1733 Jardin de l'Etangeを取り壊す際に所在不明となった
ミケランジェロDavid resting his foot on the severed head of Goliath(ブロンズ像) 1502-1508 1794-1795 ヴィルロワ城(Chateau de Villeroy,19世紀初頭に破壊)が所蔵していたが、フランス革命の混乱により散逸
ラファエロ・サンティ Portrait of a Young Man 1513-1514 1939年 ナチス・ドイツにより略奪
ラファエロ・サンティ Saint Catherine of Alexandria 1655- 第21代アランデル伯爵トマス・ハワードが所蔵していた。イングランド内戦および財産分配により散逸。ヴェンツェスラウス・ホラー英語版による複製版画は現存
トマソ・ヴィンシドール英語版Portrait of Albrecht Dürer in Black Hat and Cloak 1520 ヴィレム・ファン・ハーヒトの『コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室』にて引用あり
ベンヴェヌート・チェッリーニ The Wedding of Neptune and Amphitrite (銀製ボウル) 1796 ナポレオン軍による略奪または賠償として持ち出された可能性あり
ピーテル・ブリューゲル(父) Market Day ヴィレム・ファン・ハーヒトの『コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室』にて引用あり
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ赤いドレスを着たイザベラ 1524-1536 1640年以降 財産分配により散逸。ルーベンスによる複製画がウィーン美術史美術館に所蔵されている
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ヴィーナスとキューピッド 1555-1576 1800-1899 Spanish royal collectionに所蔵されていた。
ルーベンスによる複製は現存[13]
ジョルジョ・ヴァザーリまたはアーニョロ・ブロンズィーノビアンカ・カッペッロの肖像画』 (Portrait of Bianca Cappello 1572- 1842 1754年にヴィテッリ宮殿(Vitelli palace)からホレス・ウォルポールへ贈られた。1842年にストロベリー・ヒル・ハウスで競売にかけられて以降は所在不明となっている
アンニーバレ・カラッチ Christ head 1580-1609 1945 ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館 が所蔵していたが、第二次世界大戦の混乱により散逸
クロード・ロラン Aeneas and the Sibyl of Cumae 1666-1673 過去に作品を発注したことのあるPrince Falconieriが所蔵していた
ピーテル・パウル・ルーベンス Judith Beheading Holofernes 1609年 1610年に コルネリウス・ガレ (父)英語版が制作した版画のみ現存
ピーテル・パウル・ルーベンス Susannah and the Elders 1617-1618 Lucas Vostermanが1620年に制作した版画のみ現存
ピーテル・パウル・ルーベンス Satyr, Nymph, Putti and Leopards 1618 版画のみ現存
ピーテル・パウル・ルーベンス Equestrian Portrait of the Archduke Albert
アンソニー・ヴァン・ダイク Portrait of Jules Mazarin before his appointment as Cardinal 1641 1652 フロンドの乱によって散逸。
1652年初頭、パリの Tribunalに売り払われた
ニコラ・プッサン Women Bathing 1633-1634 サビニの女たちの掠奪』(現存)同様、枢機卿ルイージ・アレッサンドロ・オモデイ英語版が所蔵していた[14]
レンブラント・ファン・レイン『割礼』(The Circumcision 1646 1700-1799 フレデリック・ヘンドリックが所蔵していた。 Herzog Anton Ulrich Museumに複製画と思われる絵画あり。
ヨハネス・フェルメール Gentleman washing his hands in a perspectival room with figures, artful and rare 1653-75 1696- オランダのDissiusオークションにて95ギルダーで落札されたとの情報あり
ヘラルト・ドウ The Nursery 1660年代 1771年 ロシア皇帝エカチェリーナ2世が所有していたが、 積載していたフラウ・マリア英語版号沈没によって喪失[15]
カラヴァッジオ『アロフ・ド・ヴィニャクール英語版の肖像画』(A portrait of Alof de Wignacourt
カラヴァッジオ『聖フランチェスコと聖ロレンツォの降誕英語版 1609年 1969年 聖ローレンス礼拝堂英語版が所蔵していたが、盗難に遭った
ディエゴ・ベラスケス道化フランチェスコ・デ・オチョア 1633年-1640年 1701年以降 ブエン・レティーロ宮殿英語版の「王妃の間」に飾られていた。
ディエゴ・ベラスケス 『闘牛士カルデナス』 1633年-1640年 1701年以降 ブエン・レティーロ宮殿の「王妃の間」に飾られていた。
ディエゴ・ベラスケス Pelican with Bucket and Donkeys 1623-1635 1701年以降 ブエン・レティーロ宮殿に飾られていた。
グイド・レーニ 『バッカスとアリアドネ』(Bacchus and Ariadne、天井画)よりバッカス(Bacchus 1638-40 1650 ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスが所蔵していたが、次の持ち主である外交官ミシェル・パーティセリ・デメリ英語版が売りやすいように切り離してしまった[16]。アリアドネの部分は2002年に見つかっている
ジャン=バティスト・ウードリー The White Duck 1753 1990 所蔵元のホートン・ホール英語版から盗まれた
アントワーヌ・ヴァトー Autumn 1717-1718 1820年以降 ピエール・クロザ英語版が所蔵していた。
アントワーヌ・ヴァトー Winter 1717-1718 1920年以降 ピエール・クロザ英語版が所蔵していた。
ジャン=バティスト・ウードリーJay and Oriole Hung by the Feet 1751年にサロンで展示されていた
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ Mars Resting(天井画) 1762-1768 1941年 第二次世界大戦下、オラニエンバウムの中国宮殿からパヴロフスクへ疎開中に散逸した
ベンジャミン・ウエスト Reception of the American Loyalists by Great Britain in the Year 1783 1783-1811 1811- ジョン・アードリー=ウィルモット英語版が所蔵していた。2つのレプリカは現存。
ジャック=ルイ・ダヴィッドミシェル・ルペルティエフランス語版の最期』 (Louis-Michel le Peletier, marquis de Saint-Fargeau on his Death Bed 1793 1793年10月にルーヴル美術館の中庭で開かれた展覧会では、『マラーの死』とともに展示された。Anatole Desvogesによる版画は現存
ウィリアム・ブレイク en:A Vision of the Last Judgment 1808 初期バージョンおよびスケッチは現存。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー Aeneas Relating his Story to Dido 1850
ジョン・バンバード英語版 Mississippi River Panorama 1840-1846 1850-1899 裁断
ピエール=オーギュスト・ルノワール Summer Evening 1864 1865 サロン・ド・パリで展示された形跡あり。
ピエール=オーギュスト・ルノワール Landscape with two people 1866 1939年-1945年 ナチス・ドイツおよびソビエト連邦により略奪。 en:Bazille's Studioにて引用あり。また、下半分は Woman with a Birdとして現存
クロード・モネ La Sortie du port 1867-1868 習作やスケッチは現存。
ポール・セザンヌ『オーヴェル=シュル=オワーズの眺望英語版 1873-1875 1999年 所蔵元であるアシュモレアン博物館から盗まれた
マリー・ブラックモン Les Muses des arts 1878 1919- 1919年にフィラデルフィア美術館で所蔵されていたのを最後に、所在不明となった
マリー・ブラックモン The Swallow 1880
ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン Suppression of the Indian Revolt by the English 1884 1891年以降 ニューヨークで売られたものの、買い手の情報は不明である
アドルフ・ヒレミ=ヒルシュル The Plague in Rome 1884
フィンセント・ファン・ゴッホ The Lovers: The Poet's Garden IV 1888 1937年 退廃芸術とみなされ、ナチス・ドイツに接収された
オーガスタス・セント=ゴーデンスダイアナ英語版』(ブロンズ像、初代) 1891年-1892年 元々はマディソン・スクウェア・ガーデン内の塔の天辺につけられる予定だったが、作者の判断により、小さくて軽い銅像に置き換えられた。
メアリー・カサット 『モダンウーマン』(Modern Woman、ティンパヌム壁画) 1892年 1893年以降 シカゴ万国博覧会の女性館の出入り口に設置されていたが、万博終了後に散逸した
ファベルジェ Hen with Sapphire Pendant 1886 1922年 ロシア革命により散逸
ファベルジェ Cherub with Chariot 1888 1922年 ロシア革命により散逸
ファベルジェ Necessaire egg 1889 1922年 ロシア革命により散逸
ファベルジェ Mauve egg 1898 1922年 ロシア革命により散逸
パジャ・ヨバノビッチ英語版 Furor Teutonicus monumental painting 1899 1911-1939 チリ国立美術館英語版が所蔵していたが、審美眼の欠如により所在不明となった。
ベオグラード市博物館英語版にはグラビア印刷英語版による複製や油彩によるスケッチがある[17]
ファベルジェ Royal Danish Egg 1903 1922年 ロシア革命により散逸
ファベルジェ Alexander III Commemorative Egg 1909 1922年 ロシア革命により散逸
ジャン・メッツァンジェ en:Nu à la cheminée 1910 白黒写真のみ現存
ジャン・メッツァンジェen:Man with a Pipe 1911-1912 1998 1998年に所蔵元のローレンス大学から貸出先に輸送する途中で紛失[18]。写真のみ現存
アルベール・グレーズ Paysage près de Paris (Landschaft bei Paris) 1912 1937 ナチス・ドイツにより略奪[19][20]。 白黒写真のみ現存
ジャン・メッツァンジェ en:En Canot 1913 1938- ナチス・ドイツにより略奪されたのち、1937年から38年にかけてミュンヘンなどで開かれた「退廃芸術展」で展示された[21]。 白黒写真のみ現存
オットー・ディクス The Trench 1936 1937[22] ナチス・ドイツにより略奪
フランシス・ベーコン (芸術家)ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作英語版』(III) 1950年-1953年 195年以降 ディエゴ・ベラスケス の『インノケンティウス10世の肖像』(1650年)をモチーフとした習作シリーズの3番目[23]。1999年に習作のIとIIが見つかるまでは作者が破壊したものと思われていた。
マルセル・デュシャン』(オリジナル版) 1917 1918 白黒写真および、作者が許可した16点の複製のみ現存
アニッシュ・カプーア Hole and Vessel (木とセメントによる彫像) 1984 2004 保管場所からなくなっているのが見つかったため、盗まれた可能性も指摘されている
リチャード・セラ Equal-Parallel/Guernica-Bengasi(38トンの金属製の彫像) 1986 2006 元々はソフィア王妃芸術センターが所蔵していたが、2006年に所在が分からなくなったため、盗まれた可能性も指摘されている[24][25]

再発見された芸術作品

作品名・作者 制作時期 所在不明となった時期 見つかった時期 備考
アゲサンドロス英語版/Athenodoros/Polydorus 『ラオコーン像 27 BC-68 AD 1506-1906 ティトゥス宮殿破壊に伴い散逸、大半がぶどう畑から見つかっているほか、1906年に腕の部分が見つかった。
カラヴァッジオ『キリストの捕縛 1602 1802 1990
フランシス・ベーコン『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(II) 1950–53 1953 1999 作者が破壊したものと思われていた[23]
フランシス・ベーコン『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(I) 1950–53 1953 1999 作者が破壊したものと思われていた[23]
ギュスターヴ・クールベ寝床の女性英語版 1862 1945 2000 ソビエト連邦によるブダペスト略奪により散逸していた
チマブーエ聖母子と二人の天使 1280-89 1800-99 2000 ナポレオン軍により略奪された可能性あり
グイド・レーニ 『バッカスとアリアドネ』(Bacchus and Ariadne、天井画)より「アリアドネ」 1638-40 1650 2002 ミシェル・パーティセリ・デメリ英語版が売りやすいように切り離してしまった[26]。 Fondazione del Monte di Bologna e Ravennaにあった部分が、造形作家のアンドレア・エミリアーニ英語版}と美術史家のデニス・マホン英語版によってアリアドネと同定された。
パルマ・イル・ジョーヴァネ Francesco St Jerome 1595 1750–99 2008
ポール・ドラローシュクロムウェルの兵士に侮辱されたチャールズ1世英語版 1836 1941 2009 第二次世界大戦の爆撃により焼失したものと思われていたが、スコットランドにて巻かれた状態で見つかり、爆撃による被害も小さかった
ローベルト・ベレーニュ英語版黒いつぼと眠る女性英語版}』 1920 1929 2009[27] 1920年代から所在不明となっており、白黒写真のみが現存すると思われていた[28]
美術史家のゲルゲイ・バルキハンガリー語版が、映画『スチュアート・リトル』に小道具として用いられていたことに気づき、、所在が判明した[28]
クロード・モネ 『プールヴィルの浜辺英語版 1882 2000 2010 所蔵元の美術館から盗み出されたのち見つかった。
アンソニー・ヴァン・ダイク en:Magistrate of Brussels (油彩) 1634 1695 2012 塗りつぶされた状態で見つかった
ファベルジェ Third Imperial Egg 1887 1922 2012 ファベルジェによるイースターエッグの一つで、ヴァシュロン・コンスタンタン製の時計が仕込まれている[29]
ロシア革命により散逸していたが、2012年に蚤の市で売られていたことがきっかけで所在が判明した[29]
ポール・ゴーギャンテーブルの上の果物、または静物と小さな犬英語版 1889 1970 2014[30] 1970年にロンドンの収集家テレンス・ケネディ(Terrence Kennedy)の自宅から盗まれた[31]
その後、イタリアの列車内に放置された状態で見つかり、イタリア国鉄が1975年に遺失物のオークションにかけた[31]。2014年、落札者の家族が他のゴーギャン作品との類似性に気づいて警察に相談したことで所在が判明した[31]
カラヴァッジオ『ユディトとホロフェルネス 1604-05[32] 1700[33] 2014[32] 2014年に一般市民が家の雨漏りを直そうとした際に屋根裏部屋で見つけた[34]
フィンセント・ファン・ゴッホ『スヘフェニンゲンの海の眺め英語版 1882 2002 2016[35] 所蔵先のゴッホ美術館から盗まれたのち、ナポリのマフィアラファエル・インペリアル英語版の家から見つかった[36]
フィンセント・ファン・ゴッホ『ヌエネンの教会から出る人々英語版 1884 2002 2016[35] 所蔵先のゴッホ美術館から盗まれたのち、ナポリのマフィアラファエル・インペリアル英語版の家から見つかった[36]
チマブーエ『嘲笑されるキリスト英語版 1280-89 1800-99 2019 ナポレオン軍により略奪された可能性あり
2019年にフランスの一般家庭から見つかり、フランス政府によって国宝に指定された[37]
パブロ・ピカソ 『女の頭部』 1939年 2012 2021[38] 2012年にナショナル・ギャラリー (アテネ)英語版から盗み出され、2021年に見つかった[39]
ピート・モンドリアン Stammer Windmill 1905 2012 2021年[38] 2012年にナショナル・ギャラリー (アテネ)英語版から盗み出され、2021年に見つかった[39]
カラヴァッジオ『エッケ・ホモ 1605-1609年 2021年 無名作家の作品と誤認され、安価でオークションにかけられそうになっていたところ、スペイン政府によって阻止された[3][40]
グスタフ・クリムト『リーザー嬢の肖像』 1917年 1925年 2024年 ウィーンのユダヤ人一家・リーザー家の依頼で制作したが、一家のだれをモデルにしたかは不明である[41]
1925年に展覧会に出されて以来所在不明となっており、これまで白黒写真のみが現存していた[41]
2024年1月にオークション会社によって見つけられた[41]
アンリ・マチス『Le Jardin』(庭園) 1920年 1987年 2013年 1987年に所蔵元のストックホルム近代美術館から盗まれ、1990年代に高齢のポーランド人男性の手に渡る[42]。この男性から依頼を受けたイギリスの美術商チャールズ・ロバーツが調べたことで盗品だったことが判明し、2013年にストックホルム近代美術館へ返還された[42]

破壊された美術品

作者・作品名 制作時期 破壊された時期 備考
ポリュグノトス Sack of Troy -475 475-425 BCE クニドス人のレスケー英語版のフレスコ画の一部。 パウサニアスが『ギリシア案内記』第10巻で言及している
ポリュグノトスOdysseus in the Underworld -475 475-425 BCE クニドス人のレスケー英語版のフレスコ画の一部。 パウサニアスが『ギリシア案内記』第10巻で言及している
ペイディアス「アテナ・レムニア英語版」(ブロンズ像) -450 450-440 BCE パルテノン神殿 にあった。ローマ時代のレプリカのみ現存。
ゼウクシス Female Centaur Nursing a Pair of Twins -450 450-400 BCE -86 86 BCE 第一次ミトリダテス戦争の際、ルキウス・コルネリウス・スッラが略奪し、最終的には 沈没した英語版
ペイディアス『オリンピアのゼウス像 -435 435 BCE 0448 448 焼失したとされている
リュシッポス Seated Herakles(大型ブロンズ像) -399 紀元前400年または紀元前399年 1204 1204 元々ターラントの Acropolisにあったが、のちにカンピドリオ[注釈 1]にわたり、さらにその後コンスタンティノープルの馬術演技場英語版にて飾られた。 第4回十字軍で破壊された。
プラクシテレスクニドスのアプロディーテー』 (大理石像、オリジナル版) -365 365 BCE 0306 306-95 クニドスのアプロディーテー神殿英語版に設置されていたが、後年 異教のものとして迫害された英語版。複製あり。
リンドスのカレス英語版ロドス島の巨像 -292 292-280 BCE -226 226 BCE 地震により倒壊。
レジソーレ英語版 0193 193-526 1796 ラヴェンナに建立されたのち、中世にパヴィーアへ移転され、ラヴェンナにはレプリカが残された。
君主制の象徴としてジャコバン派によって破壊された。
Portraits of western and eastern imperial family members(モザイク画) 0425 425 1747 サン ジョバンニ エバンジェリスタ教会英語版にあった[注釈 2] が、再建に際し取り壊された。
Portrait of the bishop of Ravenna(モザイク画) 0425 425 1747 サン ジョバンニ エバンジェリスタ教会英語版にあった[注釈 2] が、再建に際し取り壊された。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群 0500 500-99 2001 2001 タリバンによって破壊された。
Icon of Christ Chalkites英語版 0600 600 0726 726-30 ビザンツ帝国によって破壊された。複製のみ現存
ピエトロ・カヴァリーニ Stories from the New and Old Testament (フレスコ画) 1277-85 1823 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に飾られていた[43] が、1823年に焼失した。
チマブーエ『信心二連祭壇画英語版』 (壁画) 1280 1280-89
ジョット・ディ・ボンドーネナヴィチェッラ英語版』(モザイク画) 1305 1305-13 1650 1650 旧サン・ピエトロ大聖堂英語版の外壁だったが、再建により取り壊された。複製やスケッチは現存。
グアリエント・ディ・アルポ英語版 Paradise 1338 1338-70 1577 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失
ロレンツォ・モナコ Virgin Enthroned with Saints and Angels 1420 1945 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品群 1405 1405-27 1577 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失
ドナテッロ Joshua (テラコッタ) 1410 1750 フィレンツェの ドゥオーモ の北側にあるアプスにあったが、崩壊した。
ピサネロの作品群 1415 1415-55 1577 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失
ピサネロHunting scenes (フレスコ画) 1424-40 1527 フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティヴィスコンティ城英語版に描かせたが、 コニャック同盟戦争によって破壊された。
ピサネロ『Saint George Sheathing his Sword英語版』(フレスコ画) 1433-38 1826 サンタナスタジア聖堂ペッレグリーニ礼拝堂の天井に描かれていた[44]。雨漏りにより損壊。
マサッチオ Sagra del Carmine(フレスコ画) 1422 1600 サンタ・マリア・デル・カルミネ教会英語版の回廊にあったが、再建により取り壊された。
パオロ・ウッチェロ Saint Peter Blessing(モザイク画) 1426 1425-30 1618 1618 サン・マルコ寺院のファサードにあったが、 ガエターノのモザイク画に置き換えられた
フィリッポ・リッピ Bestowal of the Carmelite Rule英語版(フレスコ画) 1426 1425-69 1771 1771 サンタ・マリア・デル・カルミネ教会の回廊にあったが、火災および雨漏りにて損壊した。
断片のみ現存[注釈 3][45]
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノとピサネロの共作によるフレスコ画 1427/28 1647 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の再建により取り壊された
ドナテッロ Abundance英語版 1428 1750 元々は[サン・ジョヴァンニ洗礼堂]]に設置されていたが、旧市場広場(Mercato Vecchio)に移設された。風化により喪失。Giovanni della Robbiaの工房が制作したテラコッタの複製は現存[46]
マソリーノパオロ・ウッチェロ Illustrious Men(フレスコ画サイクル) 1432 オルシーニ枢機卿の邸宅に設置された。 Leonardo da Besozzoによる水彩画の複製は現存。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデントラヤヌス帝の裁き英語版 1439 1695 ブリュッセル市庁舎英語版のGolden Chamberに設置されていたが、ブリュッセル砲撃英語版 で破壊される。
ベルン歴史博物館英語版にはタペストリーによる複製がある[注釈 4][47]
アンドレア・デル・カスターニョ Flagellation(フレスコ画) 1440-57 1650 サンタ・クローチェ聖堂の回廊に設置された。
ヤン・ファン・エイク メルベーケの聖母英語版 1441 1792–1815 聖マルティン大聖堂英語版にあったが、フランスによるオランダ占領に際し破壊された。ゲルマン国立博物館に複製あり。
ペトルス・クリストゥス (attributed) Crucifixion 1444 1942 デッサウ宮殿英語版およびPalais Reinaに設置されていた。 第二次世界大戦に際して破壊された。白黒写真のみ現存
ドメニコ・ヴェネツィアーノアンドレア・デル・カスターニョ Life of the Virgin (フレスコ画) 1450-52 1594 フィレンツェの聖エギディオ共同体(Sant' Egidio)の教会 (Santa Maria Nuova)にあった
アンドレア・マンテーニャ Lives of Saint James and Saint Christopher (フレスコ画) 1450-57 1944 オヴェターリ礼拝堂英語版の壁画として制作。第二次世界大戦により破壊。全体の写真のみ現存。また、1880年に取り外された AssumptionBody of Saint Christopherは現存。
アントネロ・ダ・メッシーナ Scenes from the life of Saint Nicholas (祭壇画) 1450-76 1908 メッシーナのサン・ニコロ・デッラ・モンターニャ会(Confraternity of San Nicolò della Montagna)の依頼で制作。ジョヴァンニ・バティスタ・カヴァルカゼル英語版が1871年に目撃していた[48]メッシーナ地震で倒壊。
Fra Angelico, school of Last Judgment 1456 1945 フリードリヒスハイン高射砲塔で起きた火災により焼失。
ピエロ・デラ・フランチェスカ のフレスコ画 1456 ラファエロ・サンティが『ラファエロの間』を制作するに際して上書きした可能性あり
ヴィンチェンツォ・フォッパ英語版Triumph of Trajan(フレスコ画) 1457 1456-1500 1863 ミラノのボッシ通りにあるメディチ銀行のために制作された[49] 1863年に破壊された。ロンドンのウォレス・コレクションに断片あり
アンドレア・マンテーニャ Lamentation of the People over the Dead Gattamelata 1457-60 1760 パドヴァのガッタメラータ宮殿に設置されていたロンドンのウォレス・コレクションに関連作品あり
ペルジーノ Adoration of the Magi(フレスコ画) 1466-80 1529 サン・ジュスト・アッレ・ムーラ修道院の依頼で制作された[50]フィレンツェ包囲戦 (1529年-1530年)英語版にて破壊。
サンドロ・ボッティチェッリPaintings on "pagan" subjects 1470-92 1497 虚栄の焼却によって焼失
ジョヴァンニ・ベッリーニSaint Catherine of Siena (祭壇画)(Sacra Conversazione) 1470-1500 1867 サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂の礼拝堂に描かれた
ルカ・シニョレッリThe Court of Pan (The School of Pan) 1472-74 1945 フリードリヒスハイン高射砲塔で起きた火災により焼失。白黒写真および、Olivier Maceratesiが2021年に制作したカラー復元画は現存
ルカ・シニョレッリMadonna and Saints(フレスコ画) 1474 1789 チッタ・ディ・カステッロの塔に設置されていた。
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ Otho Promising to Mediate Between Venice and Barbarossa 1476-1500 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失
サンドロ・ボッティチェッリ『ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ』(Piero di Cosimo de' Medici 1478年 1942 かつてはナポリのガエタノ・フィランギエリ市民博物館英語版が所蔵していたが、第二次世界大戦により破壊
写真のみ現存
サンドロ・ボッティチェッリ (フレスコ画)『パッツィ家の陰謀の犯人たち』 1478年 1494 メディチ家の没落後、アレクサンデル6世の依頼でバルジェロ宮殿および税関施設(ドガーナ)のために作られたが、1494年に撤去された。
メロッツォ・ダ・フォルリ Ascension with Christ in Glory(フレスコ画) 1478年から80年 1711 サンティ・アポストリ教会英語版の聖歌隊の依頼で制作したが、再建に伴い撤去された。 バチカンおよびクイリナーレにて断片が現存。
メロッツォ・ダ・フォルリ Feo Chapel (ヴォールト・フレスコ画) 1478年から80年 1945 フォルリにあるサン ビアージョ教会の依頼で制作。
第二次世界大戦により破壊された。Girolamo Reggianiが1831年にしるした注釈画(Graphical notes)、および壊される前の1944年に撮影された白黒写真、ならびにOlivier Maceratesi英語版が2020年に制作したカラー復元画が存在する。
レオナルド・ダ・ヴィンチグラン・カヴァッロ英語版』 (粘土模型) 1482 1499 フランスによるミラノ侵攻に際して破壊
ロレンツォ・コスタ Destruction of Troy(フレスコ画) 1483 1507 ボローニャのベンティヴォーリオ宮殿のロッジアに描かれていたが、宮殿での混乱に巻き込まれる形で破壊された[51]。断片がPinacoteca Nazionaleに所蔵されている。
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ (祭壇画)for the church of Santa Maria dei Battuti in Belluno 1485 1942-45 第二次世界大戦により破壊
サンドロ・ボッティチェッリ、 ドメニコ・ギルランダイオ, フィリッピーノ・リッピペルジーノ によるフレスコ画群(Forge of Vulcan含む) 1487-90 1825 ロレンツォ・デ・メディチの依頼で、彼の別荘に設置された。後年、鎮火する際に用いた水により損壊。[注釈 5]
アンドレア・マンテーニャ Baptism of Christ(フレスコ画) 1488 1780 バチカン宮殿のベルヴェデーレ礼拝堂に設置されていたが、ピオ・クレメンティーノ美術館建設に際して取り壊された。
ジョヴァンニ・ベッリーニ The Supper at Emmaus 1494 1750 ベニスのジョルジオ・コルナーロ英語版の依頼で制作した。火災により焼失。
ドメニコ・ギルランダイオ Virgin and Child in Glory with Saints John the Evangelist, Francis, Jerome and John the Baptist 1496 1945 1810年まではサン・カシャーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザにあるサン・フランチェスコ教会にあった。1945年にフリードリヒスハイン高射砲塔で起きた火災により焼失。
フラ・バルトロメオ Assumption of the Virgin 1507-08 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ミケランジェロ 『カッシナの戦い英語版』(下絵) ヴェッキオ宮殿にあったが、バッチョ・バンディネッリが破壊したものとみられる。
ミケランジェロ Cupid (大理石像) 1698 イザベラ・デステ および イングランド王チャールズ1世 が所蔵していた。ホワイトホール宮殿の火災により焼失
カラヴァッジオ『遊女の肖像英語版 1945年 元々はボーデ博物館に所蔵されていたが、旧博物館で起きた火災により焼失
ミケランジェロ Pope Julius II in the act of blessing (ブロンズ像) 1511 ボローニャにあるサン・ペトロニオ大聖堂英語版のファサードに設置されたが、後年ボローニャ市民によって破壊された
コレッジョ The Coronation of the Virgin(フレスコ画) 1587 パルマのChurch of San Giovanni Evangelistaにあった。ロンドンの National Galleryほか複数の施設にて断片が現存
コレッジョ Saint Mary Magdalen in the Desert(フレスコ画) 1555 ヴェロニカ・ガンバラ英語版の邸宅Palazzo della Delizieに設置された。ガンバラ1528年9月3日付でイザベラ・デステあてに送った手紙の中で言及している[53]。Palazzo della Delizieとともに破壊される。
コレッジョ『砂漠のマグダレン英語版 1945- ドレスデンにあったが、第二次世界大戦にて破壊された。
ラファエロ・サンティ Crowning of Saint Nicholas of Tolentino 1700–99 ラファエロが初めて受注した作品として記録されており、チッタ・ディ・カステッロのサンタゴスティーノ教会のアンドレア・バロンチ礼拝堂に設置された。
地震により損壊。
少なくとも4つの断片が現存している。
アルブレヒト・デューラー Ascension of Mary (祭壇画) 1729 焼失 。中央部分はバイエルン選帝侯マクシミリアンのコレクションとなった。1615年にジョブスト・ハリッヒ英語版が制作した祭壇画全体の複製は現存
ヴォルフ・フーバー英語版 Portrait of an Architect (Self-Portrait?) 1529 1947 1947年に所蔵元のストラスブール美術館で起きた火災により焼失
ルーカス・クラナッハ Cardinal Albrecht of Brandenburg, Archbishop of Mainz 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ルーカス・クラナッハ Virgin and Child with Four Female Saints 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ルーカス・クラナッハ Madonna and Child with Infant Saint John 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ルーカス・クラナッハ Duke Henry of Saxony 1945年 ドレスデン爆撃により焼失
ピーテル・ブリューゲル The Farmers Brawl 1945年 ドレスデン爆撃により焼失。1620年ごろにLucas Vostermanが制作した版画のみ現存
ハンス・ホルバイン Henry VIII and family(壁画) 1698 所蔵元であるホワイトホール宮殿の火災により焼失
ハンス・ホルバイン『サー・トマス・モア家族図英語版 1752 クロムニェジーシュ宮殿の火災により焼失[54]
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Battle of Spoleto 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Battle of Cadore 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Doge Gritti Praying to the Virgin 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ティントレット Coronation of Frederick Barbarossa 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ティントレット Excommunication of Barbarossa 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ティントレット Last Judgment 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
パオロ・ヴェロネーゼ Homage of Frederick Barbarossa 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ Works 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ピサネロ Works 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ヴィットーレ・カルパッチョ Pope Alexander III in the Church of St. Marks 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ヴィットーレ・カルパッチョ Meeting of the Pope and the Doge at Ancona 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ Otho Promising to Mediate Between Venice and Barbarossa 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
グアリエント・ディ・アルポ英語版 Paradise 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ジェンティーレ・ベッリーニ Battle of Salvore 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ジェンティーレ・ベッリーニ Presentation of the White Candle to the Pope 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ジョヴァンニ・ベッリーニ Presentation of the Eight Standards and Trumpets to the Doge 1577 ドゥカーレ宮殿の火災により焼失。
ペリーノ・デル・ヴァーガ Christ at the Pool of Bethesda(フレスコ画) 1537–39 1850年代 トリニタ・デイ・モンティ教会英語版のMassimi Chapelにあった。[注釈 6]
ペリーノ・デル・ヴァーガ Christ and the Centurion(フレスコ画) 1537–39 1850年代 Massimi Chapel, トリニタ・デイ・モンティ教会 英語版のMassimi Chapelに設置[注釈 6]。立て直しに伴い撤去される。
ペリーノ・デル・ヴァーガ The Transfiguration(フレスコ画) 1537–39 1850年代 トリニタ・デイ・モンティ教会のMassimi Chapelに設置[注釈 6]。立て直しに伴い撤去される。
ペリーノ・デル・ヴァーガ The Expulsion from the Temple(フレスコ画) 1537–39 1850年代 トリニタ・デイ・モンティ教会のMassimi Chapelに設置[注釈 6]。立て直しに伴い撤去される。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Death of St Peter Martyr 1867 サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂のロザリオ礼拝堂にて設置された。 オリジナルは焼失したが、複製および版画は現存。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Double Portrait of Emperor Charles V and his wife Isabella of Portugal 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失。ルーベンスによる複製は現存。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Penitent Magdalene 1561 1873 スぺイン王フェリペ2世の依頼で制作。1873年1月21日のBath Houseの火災により焼失
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Ixion and Tantalus 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Paintings of The Twelve Caesars 1734 Royal Alcázar of Madridで起きた火災により焼失
アンドレーア・パッラーディオ(またはGiorgio Capobianco)『ヴィチェンツァの宝石英語版 1578 1797 ヴィチェンツァへの奉納品英語版として作られた。その後、ナポレオン軍が銀の採取のために破壊した。
2012年から2013年にかけて銀の複製が作られた。
ヤコポ・ダ・ポントルモApollo and Juno 1580 1945 ベニスのフォンダコ・デイ・テデスキ英語版の依頼で制作。旧博物館で起きた火災により焼失
ヤコポ・ダ・ポントルモ Saturn Helps Religion to Overcome Heresy 1580 1945 ベニスのフォンダコ・デイ・テデスキ英語版の依頼で制作。旧博物館で起きた火災により焼失
ヤコポ・ダ・ポントルモ God the Father and the Four Evangelists(フレスコ画) 1700–99 フィレンツェにあるサンタフェリチタ教会のッポーニ礼拝堂に設置されたが、再建に伴い撤去。
ヤコポ・ダ・ポントルモ Last Judgment 1700–99 サン・ロレンツォ聖堂に設置される予定だったが、完成しないまま撤去された
カラヴァッジオ『Portrait of a Courtesan, aka Fillide Melandroni英語版 1597-1599 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ヘンドリック・コルネリスゾーン・フローム The Armada Tapestries 1602 1834 初代ノッティンガム伯爵チャールズ・ハワードの依頼で制作後、1616年にイングランド王ジェームズ1世へ売却された。1650年にはオリバー・クロムウェルによって貴族院の建物に設置された。また、John Pineが1739年に版画を制作している[55]。1834年にイギリス議会で起きた火災英語版で焼失[56]
ジャンボローニャ Henry IV of France(ブロンズ製の騎馬像) 1614 1789–99 コジモ2世から、アンリ4世の妻であるマリー・ド・メディシスに贈られた。フランス革命に際して大砲の材料にするために破壊された。
ニコラ・プッサン The Martyrdom of Erasmus 1630 1945年 ドレスデン爆撃により焼失。
ニコラ・プッサン Penance 1637–1640 1816 七つの秘蹟英語版の一部。 ベルボア城英語版の火災により焼失
クロード・ロラン Queen Esther Approaching the Palace of Ahasuerus 1658 1755 フォントヒル修道院英語版での火災により焼失[57] 。断片がEarl of Leicester, Holkham Hallっとして扱われている。
クロード・ロラン Apollo Guarding the Herds of Admetus and Mercury Stealing Them 1660–1673 1871 1871年に起きたホルカー・ホール英語版の火災により焼失[58]
ピーテル・パウル・ルーベンス The Crucifixion 1601–02 1820- サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂で使うために制作された[59]。1811年にイングランドへもち出され、翌1812年に競売が行われた。1820年にも競売が行われたが、同年海の底に沈んだ。
ピーテル・パウル・ルーベンス Madonna of the Rosary 1695 ブリュッセル砲撃により焼失。ブリュッセルにある Royal Chapel of the Dominican Churchで使うために制作された。
ピーテル・パウル・ルーベンス Virgin Adorned with Flowers by Saint Anne 1610 1695 ブリュッセル砲撃により焼失。 the Church of the Carmelite Friarsで使うために制作された。
ピーテル・パウル・ルーベンス Saint Job Triptych 1613 1695 ブリュッセル砲撃により焼失。 Saint Nicholas Churchで使うために制作された。
ピーテル・パウル・ルーベンス Cambyses Appointing Otanes Judge 1695 ブリュッセル砲撃により焼失。ブリュッセルのMagistrates' Hallの装飾として作られた。
ピーテル・パウル・ルーベンス Judgment of Solomon 1695 ブリュッセル砲撃により焼失。ブリュッセルのMagistrates' Hallの装飾として作られた。
ピーテル・パウル・ルーベンス Last Judgment 1695 ブリュッセル砲撃により焼失。ブリュッセルのMagistrates' Hallの装飾として作られた。
ピーテル・パウル・ルーベンス Neptune and Amphitrite 1615 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ピーテル・パウル・ルーベンス Nativity 1731 クーデンベルク宮殿英語版での火災により焼失。
ピーテル・パウル・ルーベンス Adoration of the Magi 1731 クーデンベルク宮殿英語版での火災により焼失。
ピーテル・パウル・ルーベンス Pentecost 1731 クーデンベルク宮殿英語版での火災により焼失。
ピーテル・パウル・ルーベンス The Abduction of Proserpine 1861 1861念2月に起きた ブレナム宮殿での火災により焼失 [60]。Pieter Soutmanが1621年以前に制作した版画は現存。
ピーテル・パウル・ルーベンス Crucifixion with Mary, St. John, Magdalen 1622 1643 イングランド内戦にて破壊。
ピーテル・パウル・ルーベンス Portrait of Philip IV of Spain 1628 1985 1985年にチューリッヒ美術館を狙った焼夷弾により焼失[61]
ピーテル・パウル・ルーベンス Diana and Nymphs Surprised by Satyrs 1635–1638 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ピーテル・パウル・ルーベンス Equestrian Portrait of Philip IV of Spain 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失 。ウフィツィ美術館に複製あり。
ピーテル・パウル・ルーベンス The Continence of Scipio 1836 1836年、ロンドンのWestern Exchangeで起きた火災により焼失[62]
ピーテル・パウル・ルーベンス The Lion Hunt 1870 元々はシュラスハイム宮殿英語版にあったが、ナポレオンのエージェントにより、1800年ごろに持ち出された。その後、ボルドー美術館に展示されていたが、1870年の火災により焼失した[63]
ピーテル・パウル・ルーベンス Equestrian Portrait of the Duke of Buckingham 1949 ジャージー伯爵が オスタリー・パーク英語版に所有していたが、その後焼失[64]
アンソニー・ヴァン・ダイクとピーテル・パウル・ルーベンス Jesuit Church in Antwerp (nl:Carolus Borromeuskerk#Branden, Dutch wiki) にある天井画39点 1718 焼失
ピーテル・パウル・ルーベンス とヤン・ブリューゲル (父) Vision of Saint Hubert 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ヤン・ブリューゲル (父)ほか Allegories of Sight and Smell 1731 アントウェルペン市が購入し、テルビュレン城の謁見の間に設置された[65] 。クーデンベルク宮殿での火災により焼失。
ヤン・ブリューゲル (父) ほか Allegories of Hearing, Taste and Touch 1731 クーデンベルク宮殿での火災により焼失。
アンソニー・ヴァン・ダイク 『Group Portrait of the Town Council of Brussels英語版 1634-35 1695 ブリュッセル砲撃|en|Bombardment of Brussels}} により破壊。
アンソニー・ヴァン・ダイク Christ Crowned with Thorns 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
アンソニー・ヴァン・ダイク Lamentation over Christ 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
アンソニー・ヴァン・ダイク Nymphs Surprised by Satyrs 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
アンソニー・ヴァン・ダイク Saints John the Baptist and John the Evangelist 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ヘラルト・ファン・ホントホルスト Adoration of the Shepherds (Birth of Christ) 1993 所蔵元のウフィツィ美術館そばで起きた車爆弾テロにより喪失
トマス・デ・ケイセル英語版Six Gold and Silver Smiths (The "Bankers of Amsterdam") 1627 1947 ストラスブール美術館で起きた火災により他の30作品とともに焼失[66]
ヤーコプ・ファン・ロイスダール Bentheim Castle with Christ and Disciples on the Road to Emmaus 1864 所蔵元である ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の火災により焼失
ヤーコプ・ファン・ロイスダール The Windmill 1871 ホルカー・ホール英語版での火災により焼失[67]
カレル・ファブリティウス Large family portrait 1864 所蔵元であるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の火災により焼失
アルベルト・カイプ Sleeping Man 1864 所蔵元であるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の火災により焼失
ヤン・ステーン Tobias Healing His Father 1864 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の火災により焼失[68]
パウルス・ポッテルWhite Ox in a Field 1864 所蔵元であるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の火災により焼失
パウルス・ポッテルLarge Herd of Oxen 1771 1771年にエカチェリーナ2世の代理人がアムステルダムでの競売で落札するが、作品を積んでいたフラウ・マリア号がロシアへ移送する途中で沈没した[69]
カラヴァッジオ The Inspiration of Matthew(初版) 1601 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
カラヴァッジオ Christ on the Mount of Olives 1605 1945 銀行家ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ英語版のコレクション。当時の所蔵元だった旧博物館で起きた火災により焼失
カラヴァッジオ Saint John 1798 ナポリのサンタンナ・デイ・ロンバルディにあるフェナローリ礼拝堂に設置。地震により損壊。
カラヴァッジオ Saint Francis 1798 ナポリのサンタンナ・デイ・ロンバルディにあるフェナローリ礼拝堂に設置。地震により損壊。
カラヴァッジオ Resurrection 1798 ナポリのサンタンナ・デイ・ロンバルディにあるフェナローリ礼拝堂に設置。地震により損壊。1763年にシャルル=ニコラ・コシャンが描いた図は現存[70]
オラツィオ・ジェンティレスキ The Conversion of Saint Paul (祭壇画) 1823 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂のために制作されたが、後年焼失した
ラヴィニア・フォンターナ The Stoning of Saint Stephen (祭壇画) 1823 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂のために制作されたが、後年焼失した
アルテミジア・ジェンティレスキ Hercules and Omphale 1628 1734 フェリペ4世の依頼で制作。 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失
アルテミジア・ジェンティレスキ Bathsheba 1650–1652 1940年 スコットランドのGosford Houseに所蔵されていたが焼失した[71]
バルトロメオ・マンフレディ La Buonavventura 1993 所蔵元のウフィツィ美術館そばで起きた車爆弾テロにより喪失
バルトロメオ・マンフレディ Ciclo Vito 1993 所蔵元のウフィツィ美術館そばで起きた車爆弾テロにより喪失
アンニーバレ・カラッチ Danae 1941 エルズミーア・コレクション。所蔵元のブリッジウォーターハウス英語版がドイツ軍の爆撃に遭い、破壊された。
Carracci, Annibale Saint Gregory Praying for Souls in Purgatory, (祭壇画) 1600 1941 元々はローマのChurch of San Gregorio Magnoが所有していたが、その後エルズミーア・コレクションに加えられた。所蔵元のブリッジウォーターハウス英語版がドイツ軍の爆撃に遭い、破壊された。
Carracci, Ludovico Descent from the Cross 1941 エルズミーア・コレクション。所蔵元のブリッジウォーターハウス英語版がドイツ軍の爆撃に遭い、破壊された。
Reni, Guido Immaculate Conception 1941 元々はスペインのセビリア大聖堂にあったが、のちにロンドンのエルズミーア・コレクションに加えられた。所蔵元のブリッジウォーターハウスが二次世界大戦により破壊。
Bernini Bust of King Charles I (Bernini) 1698 ホワイトホール宮殿の火災により焼失
Bernini Crucified Christ in bronze 1789–99 フランス王家が所有していたがフランス革命により破壊
ディエゴ・ベラスケス Expulsion of the Moors with Philip III 1627 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失
ディエゴ・ベラスケス Venus and Adonis 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失
ディエゴ・ベラスケス Cupid and Psyche 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失
ディエゴ・ベラスケス Apollo and Marsyas 1734 Royal Alcázar of Madrid英語版で起きた火災により焼失
フランシスコ・デ・スルバラン Saint Bonaventure Reveals the Crucifix to Saint Thomas Aquinas 1945 セビリアのサン・ブエナベントゥーラ校(Colegio de San Buenaventura)の依頼で制作。フランス軍のニコラ=ジャン・ド・デュ・スールトによってスペイン国外へ持ち出された。
旧博物館で起きた火災により焼失
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ Caritas Romana (Roman Charity) 1845 ホセ1世によってスペインから持ち出され、ペンシルベニア美術アカデミーに売られたが、最終的には火災で焼失した。
ルカ・ジョルダーノ The Labors of Hercules sixteen (フレスコ画) 1692–1702 1800–99 ブエン・レティーロ宮殿英語版に設置されていた
ルカ・ジョルダーノ Life of Saint Benedict (フレスコ画) 1944 モンテ・カッシーノ修道院の依頼で制作。 モンテ・カッシーノの戦いで破壊。
ルカ・ジョルダーノ The Rape of the Sabine Women 1945 アルテ・マイスター絵画館に所蔵されていたが、ドレスデン爆撃により焼失。
ゴドフリー・ネラー William III Leading Troops at the Battle of the Boyne 1965 Grocers' Hallの火災により焼失
アントワーヌ・コワペル Venus Imploring Jupiter on Behalf of Aeneas(天井画) 1702 1783- パレ・ロワイヤルの大ギャラリーに設置された。 習作数点が現存
ジョン・ノスト英語版 King George I of Great Britain(騎馬像) 1716 1872 かつては、キャノンズにあるシャンドス公爵のコレクションの一つだったが、1784年にロンドンの レスター・スクウェア に移設された。略奪されたのち売られ、最終的には撤去された[72]
ジャン・シメオン・シャルダン Still Life with Copper Kettle, Bowl with Eggs 1724–25 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
アントワーヌ・ヴァトーIdol of the Goddess Ki Mao Sao in the Kingdom of Mang in the country of Laos 1719 1789–99 ミュエット城英語版の装飾で、フランス革命によって破壊された。
アントワーヌ・ヴァトーSpring 1717-18 1966 資産家ピエール・クロザ英語版のコレクションの一つ。1964年に再発見されるも、 のちに焼失した。 関連作品であるAutumnWinterは所在不明。複数の版画は現存。
ウィリアム・ホガース娼婦一代記英語版 1731 1755 フォントヒル修道院での火災により焼失 1732年に制作された版画は現存。
ウィリアム・ホガース巡業する女優たち英語版 1738年 1874年 1874年12月に起きたLittleton Houseでの火災により焼失[73]。作者による複製版画は現存。
トマス・ハドソン (画家) William Bouverie 1952 所蔵元のコールズヒルハウス英語版の火災により焼失[74]
トマス・ハドソン (画家) Anne Bouverie 1952 所蔵元のコールズヒルハウス英語版の火災により焼失[74]
トマス・ハドソン (画家) Mary Bouverie 1952 所蔵元のコールズヒルハウス英語版の火災により焼失[74]
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ The Translation of the Holy House of Loreto(フレスコ画) 1915 ベニスのスカルツィ教会にあったが、[第一次世界大戦]]の際、オーストリア軍の砲撃によって破壊された。 1914年以前に制作された天井全体の複製が存在するほか、マリアノ・フォルトゥーニによる原画を基にしたガッシュ画、ジェームズ・アンダーソンが1914年に撮影した写真、およびOlivier Maceratesiが2019年に制作した複製画が存在する。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロとジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ Soderini family (フレスコ画) 1754 1918 Villa Soderini, Nervesa della Battaglia, in the Veneto. 1918年6月15日から15日にかけて展開されたイタリアとオーストリアの戦闘(第一次世界大戦)により破壊された[75]。 写真のみ現存
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ The Triumph of the Arts and Sciences (フレスコ天井画) 1731 1943 Palazzo Archinto, ミラノ空爆により破壊[76] 。写真のみ現存
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ Apollo and Phaethon (フレスコ天井画) 1731 1943 ミラノ爆撃により焼失
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ Perseus and Andromeda (フレスコ天井画) 1731 1943 ミラノ爆撃により焼失
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ Juno with Fortuna and Venus (フレスコ天井画) 1731 1943 ミラノ爆撃により焼失
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ Triumph of Hercules (フレスコ天井画) 1761 1945年 ヴェローナのカノッサ宮殿のメインサロンの天井に設置された。第二次世界大戦後の爆撃により破壊。
フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ The Eidophusikon英語版 1781
ジョシュア・レノルズ Nativity 1816 ベルボア城英語版の火災により焼失[77]
ジョシュア・レノルズ The Infant Jupiter 1816 ベルボア城の火災により焼失。
ジョシュア・レノルズ General James Oglethorpe 1816 ベルボア城の火災により焼失。
トマス・ゲインズバラ David Garrick leaning on a bust of Shakespeare 1766 1946 ストラトフォード・シェイクスピア記念祭に向けて制作された。ストラトフォード=アポン=エイヴォンの庁舎 の火災により焼失[78]。複製は現存。
トマス・ゲインズバラ Wooded landscape with gipsies round a camp fire also named The Gipsies 1754 <1831 ジョン・ボイデル(John Boydell)が1764年に公開した版画は現存
トマス・ゲインズバラ The Woodman and his Dog in a Storm 1787 1810 Exton Old Parkの火災により焼失[79] 。Pierre Simonが1791年に制作したメゾチントは現存。
トマス・ゲインズバラ Cottage Children with an Ass 1810 Exton Old Parkでの火災により焼失。メゾチントは現存。
トマス・ゲインズバラ Portrait of Sir Francis Sykes of Basildon with a groom, two horses, and a dog 1874年 ロンドンのPantechnicon にある保管庫の火事により焼失[80]
リチャード・ウィルソン (画家) The Destruction of Niobe's Children 1944 かつてはロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されていたが、第二次世界大戦により喪失
ジョン・シングルトン・コプリーが植民地時代に制作した多数の肖像画 1872 ボストン大火により焼失[81] 。かつてはPeter Wainwrightが所蔵していた。
チャールズ・ウィルソン・ピール Portrait of Thomas Paine 1777 1893 1853年に Peale's Museumで展示されたのち、T.B. MacDonoughおよび、俳優のジョセフ・ジェファーソン英語版の手に渡った。1893年4月、Buttermilk Bayにあるジェファーソンのサマーハウスの火災により焼失[82] 。版画は現存。
ジャン=アントワーヌ・ウードン Bust of the composer Gluck(大理石像) 1873 オペラ座の火災により焼失。テラコッタは現存。
ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ Glorification of the Giustiniani Family (フレスコ画) 1784 1866 ドゥカーレ宮殿に設置されていたが、老朽化に伴い交換された。

下絵がメトロポリタン美術館にある。

ウィリアム・ビーチー軍隊を視察するジョージ3世とプリンス・オブ・ウェールズ英語版 1797–98 1992年 1992年のウィンザー城火災により焼失。
フランシスコ・デ・ゴヤ Don Antonio de Porcel 1806 1956 ブエノスアイレスのジョッキー・クラブ( Jockey Club)での火災により 焼失
ギルバート・ステュアート Seated portrait of President Washington 1851年 アメリカ議会図書館の火災により焼失
ギルバート・ステュアート Seated portrait of President Adams 1851年 アメリカ議会図書館の火災により焼失
ギルバート・ステュアート Seated portrait of President Jefferson 1851年 アメリカ議会図書館の火災により焼失
チャールズ・ウィルソン・ピール Portrait of Peyton Randolph, Speaker of the Virginia House of Burgesses 1851年 アメリカ議会図書館の火災 により焼失
アントニオ・カノーヴァ ジョージ・ワシントン像英語版(大理石像) 1831 ノースカロライナ州議会議事堂で起きた火災により焼失 作者による石膏像は現存
レンブラント・ピール英語版 The Dream of Love (Jupiter and Io) <1855 作者によると1855年以前の展示の際に焼失したという。
レンブラント・ピール英語版 Musidora 1850–51 1850年および51年にフィラデルフィアの画廊で展示していた際に焼失したという。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ Winter 1807–08 1931年 水晶宮英語版の火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ The Farewell 1818 1931年 水晶宮の火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ The Harbor at Grifswald 1820 1931年 水晶宮の火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ Autumn Landscape with Brush Collector 1824 1931年 水晶宮の火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ Evening 1825 1931年 水晶宮の火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ Mountain Chapel in the Mist 1811 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ Monastery Graveyard in the Snow 1817–18 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ High Mountain Region 1824 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ Northern Lights 1830–1835 1945 旧博物館で起きた火災により焼失
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー The Mouth of the Thames 1807 1939–1945 第二次世界大戦により喪失
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー Fish Market on the Sands 1830 1956 アメリカの芸能プロデューサービリー・ローズ英語版が所有していたが、焼失した。
エドウィン・ランドシーア War and Peace 1846 1928 Tate Galleryの地下に保管されていた。1928年のテムズ川の氾濫英語版により損壊。双方の版画は現存うち、"War"の複製はテレビ番組 Fake or Fortune?にて本物かもしれないとされていた[83]
マリオ・ブラガルディ(Mario Bragaldi) Jupiter on Mount Olympus (フレスコ天井画) 1850年代 2018年 ペドロ2世の依頼で制作。ブラジル国立博物館火災により焼失
マリオ・ブラガルディ(Mario Bragaldi) Justice (フレスコ天井画) 1850年代 2018年 ブラジル国立博物館火災により焼失
マリオ・ブラガルディ(Mario Bragaldi) Fortitude (フレスコ天井画) 1850年代 2018年 ブラジル国立博物館火災により焼失
マリオ・ブラガルディ(Mario Bragaldi) Temperance (フレスコ天井画) 1850年代 2018年 ブラジル国立博物館火災により焼失
マリオ・ブラガルディ(Mario Bragaldi) Prudence (フレスコ天井画) 1850年代 2018年 ブラジル国立博物館火災により焼失
Leutze, Emanuel Washington Crossing the Delaware (初版) 1849–50 1942 ブレーメン空襲により焼失
ドミニク・アングル Apotheosis of Napoleon I(天井画) 1871 パリ市庁舎の火事により焼失[84]
ポール・ドラローシュ The Storming of the Bastille 1830 1871 パリ市庁舎の火事により焼失
ウジェーヌ・ドラクロワ Justinian Drafting his Laws 1826 1871 パリ・コミューン鎮圧時の火災で焼失。国務院のために制作。1855年に撮影された白黒写真は現存[85]
ウジェーヌ・ドラクロワ Peace Consoles Mankind and Brings Abundance 1852–1854 1871 パリ市庁舎の火事により焼失
テオドール・シャセリオー 『戦争』(War)と『平和』(Peace)(壁画) 1848 1871 元々会計検査院の依頼で制作されたが、パリ・コミューン鎮圧時の火災で焼失。
『平和』の部分はルーブル美術館にて保管されている。
フランツ・ヴィンターハルター Napoleon III 1856 1871 パリ・コミューン鎮圧時に起きたテュイルリー宮殿での火災により焼失。
作者による模型、および複製は現存
フランツ・ヴィンターハルター Empress Eugénie 1856 1871 パリ・コミューン鎮圧時に起きたテュイルリー宮殿での火災により焼失 。
作者による模型、および複製は現存
ジャン=フランソワ・ミレー 『バビロン捕囚』(The Jewish Captivity in Babylon 1848 1870–71
ギュスターヴ・クールベ The Stone Breakers 1939–1945 第二次世界大戦下、 Dresden Gallery から疎開中に破壊された。
ギュスターヴ・クールベ The Return from the Conference 1863 1909 反教権主義的観点から持ち主により破壊された。
ギュスターヴ・クールベ Venus and Psyche 1864 1945年 第二次世界大戦に際して焼失
フィンセント・ファン・ゴッホ Donkey Cart with Boy and Scheveningen Woman 1882 1940年 焼失
Carpaccio, Vittore Virgin and Child Enthroned with Saints Faustinus and Jovita, patron saints of Brescia (the Averoldi Altarpiece) Sacristy of S. Giovanni Evangelista, Brescia. 売却先のNational Gallery Londonに向け、輸送していた船がEnglish Channelを渡る際に沈没した。
フィンセント・ファン・ゴッホ The Parsonage Garden at Nuenen with Pond and Figures 1885 1940年 ロッテルダム爆撃により焼失
フィンセント・ファン・ゴッホ Windmill on Montmartre 1886 1967 焼失
フィンセント・ファン・ゴッホ『ひまわり』(F456) 1888 1945年 実業家山本顧彌太が所蔵していたが、阪神大空襲により焼失[86] [87][88]。 2014年に陶板による複製画が制作・公開された[87][88]
フィンセント・ファン・ゴッホ The Painter on his Way to Work 1888 1939–1945 第二次世界大戦により喪失 In the Kaiser-Friedrich Museum, Berlin
フィンセント・ファン・ゴッホ The Park at Arles with the Entrance Seen Through the Trees 1888 1939–1945 第二次世界大戦により喪失
Inness, George The New Jerusalem 1880 マディソン・スクエア・ガーデンの部分崩落に巻き込まれる形で損壊[89]。パーツの一部は回収されており、うちValley of the Olive Treesはボルチモアのウォルターズ美術館で展示されている
アンリ・ルソー Portrait of Alfred Jarry 1895 ジャリ本人が破壊した
ジョン・シンガー・サージェント Head of Sir Henry Irving アーヴィング本人が破壊した
ウィリアム・メリット・チェイストマス・エイキンズの肖像画』(Portrait of Thomas Eakins 1899 エイキンズ本人が破壊したとみられる
グスタフ・クリムト Musik II 1898 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
グスタフ・クリムト Schubert at the Piano 1899年 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
グスタフ・クリムト Portrait of Serena Lederer 1899年 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
グスタフ・クリムト Medicine 1899年から1907年 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。
グスタフ・クリムト Philosophy 1899年から1907年 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。
グスタフ・クリムト Jurisprudence 1899年から1907年 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。
グスタフ・クリムト Golden Apple Tree 1903 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画|en|Klimt University of Vienna Ceiling Paintings}}の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
グスタフ・クリムト Procession of the Dead 1903 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
ワシリー・カンディンスキー『コンポジションI』 1910 1944 イギリスによるブラウンシュヴァイク空襲により破壊。写真のみ現存。
ジョン・スローン Tammany Hall at Night 1910 移送中の事故により焼失。のちに作者が写真をもとにレプリカを制作した
グスタフ・クリムト Farm Garden with Crucifix 1911–12 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画|en|Klimt University of Vienna Ceiling Paintings}}の火災により焼失。カラー写真のみ現存
ジョセフ・シサキ英語版en:Groupe de femmes 1911–12 1912 サロン・ドートンヌおよびアンデパンダン展で展示された。 第一次世界大戦により喪失。白黒写真のみ現存
ジョセフ・シサキ英語版Danseuse, (Femme à l'éventail) 1912 1912 サロン・ドートンヌなどで展示された。 白黒写真のみ現存
アレクサンダー・アーキペンコ La Vie Familiale (Family Life) 1912 1912年のサロン・ドートンヌおよび、1913年の アーモリーショーにて展示された。第一次世界大戦により喪失。ニューヨークで展示された際の白黒写真のみ現存
ニニアン・コンパー英語版による内陣仕切り英語版 1912[90] 1993 聖エセルブルガ聖母教会英語版の構成物の一部であり、IRAが起こしたビショップゲート爆弾テロ事件英語版 に巻き込まれた[91]。白黒写真のみ現存
ジョセフ・シサキ英語版Head (Tête d'homme) 1913 アンデパンダン展(1913年)およびギャラリー・ムース英語版(1920年)で展示された。 白黒写真のみ現存
グスタフ・クリムト Malcesine on Lake Garda 1913 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。カラー写真のみ現存
グスタフ・クリムト Garden Path with Chickens 1916 1945 ウィーン大学大講堂の天井画の火災により焼失。カラー写真のみ現存
グスタフ・クリムト Portrait of Wally 1916 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
グスタフ・クリムト The Girlfriends 1916–17 1945 ウィーン大学大講堂の天井画|en|Klimt University of Vienna Ceiling Paintings}}の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた. カラー写真のみ現存
グスタフ・クリムト Leda 1917 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画|en|Klimt University of Vienna Ceiling Paintings}}の火災により焼失。かつてはLederer家が所蔵していた
グスタフ・クリムト Gastein 1917 1945年 ウィーン大学大講堂の天井画英語版の火災により焼失。
ヘンリー・シュラディ英語版ロバート・E・リー像 1924 2023 バージニア州シャーロッツビルに設置されていたが、2017年のユナイト・ザ・ライト・ラリーを経て、2021年に台座から撤去された[92]のち、2023年に破壊された[93]
クロード・モネ 『睡蓮』 (major study) 1925 1958[94] ニューヨーク近代美術館の火災により焼失。
クロード・モネ 『睡蓮』 (small study) 1925 1961年 ニューヨーク近代美術館の火災により焼失
ディエゴ・リベラ十字路の人物英語版』(壁画) 1933 1934 ネルソン・ロックフェラーの発注で制作されたが、壁画にレーニンがふくまれていたことから反発を呼び、破壊されるに至った[4]
なお、リベラはのちにメキシコシティにて『宇宙を支配する男スペイン語版』を制作した。
ヒルダ・セリグマン英語版 ハイレ・セラシエ1世の胸像英語版 1936 2020[95] 元々はハイレ・セラシエ1世本人の亡命先であるロンドンのウィンブルドンにあったが、1957年にキャニサロパーク英語版へ移転した。
2020年、エチオピアでの騒乱およびオモロ人迫害に対する抗議活動の中で破壊された。
ジョアン・ミロ刈り入れ人英語版 1937 1937 パリ万国博覧会のスペイン共和国のパビリオンのために制作されたが、バレンシア移送後に破壊された可能性あり。設置された際に撮影された写真は現存。
サルバドール・ダリ The Seven Lively Arts 1944 1956 アメリカの芸能プロデューサービリー・ローズ英語版の依頼で制作した7つの連作のうちの一つで、のちに焼失した。 写真のみ現存
アーシル・ゴーキーのスタジオに保管されていた作品群 1940–1946 1946 スタジオの火災により焼失。
アーシル・ゴーキーの作品15点 1940–1946 1962 アメリカン航空1便墜落事故により損壊。
エドワード・ホッパー Corn Belt City 1947 1975 パークアベニューにあるアパートの火災により焼失
グレアム・サザランド英語版ウィンストン・チャーチルの肖像画 (サザーランド)英語版 1954 1954 チャーチルの個人秘書により破壊された。カラー写真のみ現存
パブロ・ピカソがドキュメンタリー映画ピカソ-天才の秘密英語版内で制作した作品 1956 1956 撮影中に破壊した
パブロ・ピカソ Cubist Head 1909-1912 1978年 リオデジャネイロ近代美術館英語版での火災により焼失[96]
パブロ・ピカソ『ドラ・マールの肖像英語版 1937 1978年 リオデジャネイロ近代美術館での火災により焼失[96]
{クレイグ・カウフマン英語版 による無題のレリーフ壁面(プレキシガラスにアクリルラッカーを塗布) 1967 2006 ポンピドゥー・センターでの落下により崩壊[97]
ピーター・アレキサンダー英語版による、ポリエステル製の無題作品 1971 2006 ポンピドゥー・センターでの落下により崩壊[97]
アレクサンダー・カルダースタビル英語版 1971 2001年 アメリカ同時多発テロ事件で損壊[98]
流政之雲の砦英語版 1972 2001 世界貿易センタービルにて展示されていた。
アメリカ同時多発テロ事件直後は無事だったが、救助隊搬入のために破壊・撤去された[99][100]
その後、流本人により『雲の砦』の縮小版である『雲の砦Jr.』が制作された[100]
ジョアン・ミロとジョセップ・ロヨ英語版世界貿易センターのタペストリー英語版 1973年 2001 アメリカ同時多発テロ事件[98]
ロイ・リキテンスタイン 『エンタブラチュアシリーズ』(The Entablature Series,一部) 1971年から72年または1974年から1976年 2001年 アメリカ同時多発テロ事件
ジェームズ・ロザッティ英語版 Ideogram 1974 2001 アメリカ同時多発テロ事件[98]
ルイーズ・ネヴェルソン Sky Gate, New York 1978年 2001 アメリカ同時多発テロ事件[98]
ケネス・バッド英語版 Chartist Mural英語版 1978年 2013 115×12フィートのモザイク壁画 。ウェールズのニューポートに設置されていたが、再開発により撤去された[101]
Pearl Monument 1982 2011 バーレーンの[[真珠広場]に設置されていたが、2011年バーレーン騒乱の際、政府によって破壊された[102]
中央美術学院の学生『 民主の女神像英語版 1989 1989 天安門事件に際して破壊された。事件の追悼行事で複製が作られた例あり[103]
レイチェル・ホワイトリード英語版 "House" temporary sculpture 1993 1994 タワーハムレッツ区議会によって撤去
パブロ・ピカソ The Painter 1901–1973 1998 スイス航空111便墜落事故により破壊
トレイシー・エミン英語版Everyone I Have Ever Slept With 1963–1995 ("The Tent") 1995 2004 美術品保管サービスMomart英語版の倉庫火災により焼失[104]
リチャード・セラティルテッド・アーク(傾いた弧)英語版 1981 1989 通行の妨害になるとの指摘が寄せられたことがきっかけで、セラと委託元であるアメリカ連邦政府の間で論争となり、最終的には撤去に至った[5]
トーマス・ヘザーウィックB of the Bang 2005 2009 解体された[105]。一部のみ現存
マリア・プリマチェンコの作品群 2022 2022年ロシアのウクライナ侵攻緒戦におけるイヴァンキフの戦いで、所蔵元のイヴァンキフ歴史・地方史博物館が全焼したことにより損壊した[106]

脚注

注釈

  1. ^ 紀元前209年にクィントゥス・ファビウス・マクシムスがローマ帝国にもたらしたとされる。
  2. ^ a b Commissioned by Galla Placidia
  3. ^ Uncovered in 1860
  4. ^ このタペストリーは1450年ごろに初期バージョンをベースに制作された。
  5. ^ なお、建物は湿気のダメージを受けており、19世紀初頭の火災により崩壊した[52]
  6. ^ a b c d The Raising of Lazarusはイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館にある。

出典

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参考文献

書籍

論文

  • Norris, Christopher (December 1952). “The Disaster at Flakturm Friedrichshain: a Chronicle and List of Paintings”. The Burlington Magazine XCIV (597). 

報道記事

関連項目

  • Art discovery
  • List of missing treasures
  • 失われた映画
  • 逸文
  • List of destroyed heritage
  • List of destroyed libraries
  • List of monuments and memorials removed during the George Floyd protests

外部リンク




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