ジャン=アントワーヌ・ウードンとは? わかりやすく解説

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ウードン【Jean-Antoine Houdon】

読み方:うーどん

[1741〜1828]フランス彫刻家端正な形式美性格描写とによる肖像彫刻傑作残した


ジャン=アントワーヌ・ウードン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 02:28 UTC 版)

ジャン=アントワーヌ・ウードン
Jean-Antoine Houdon
レンブラント・ピールによる肖像画(1808)
生誕 (1741-03-20) 1741年3月20日
フランス、ヴェルサイユ
死没 1828年7月15日(1828-07-15)(87歳没)
フランス、パリ
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ウードン『ディアナ』ルーヴル美術館
ウードン作 ヴォルテールの胸像

ジャン=アントワーヌ・ウードンJean-Antoine Houdon, 1741年3月20日 - 1828年7月15日)は、新古典主義フランス彫刻家啓蒙時代哲学者発明家政治家の彫像ならびに胸像で知られる。

生涯

ウードンはヴェルサイユに生まれた。1761年ローマ賞を受賞し、ローマに行くが、古代ローマルネサンス美術の影響はまったく受けなかった。ウードンはローマ滞在中に2つの特徴的かつ重要な作品を制作した。1つは堂々たる『エコルシェ』(1767年)で、その解剖学的な造型は、その時代以来、多くの美術家たちの手本とされた。もう1つはローマ、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ大聖堂の『聖ブルーノ(ケルンのブルーノ)』像である。ウードンはそれから10年イタリアで過ごした後、パリに戻った。

ウードンの作ったワシントン像は、ベンジャミン・フランクリンからわざわざ大西洋の向こうのアメリカ、マウント・バーノンに招かれた、その所産に作られたものだった。1785年、ワシントンはモデルとしてウードンの前に座り、湿った粘土で体の、石膏で顔(ライフ・マスク)の型を取られた。ワシントンの型からたくさんの像が作られ、その中には、バージニア州議会の依頼で作られ、現在リッチモンドのバージニア州議事堂にある立像も含まれる。ワシントンの胸像も、さまざまなバリエーションで多数作られた。将軍として軍服を着せられたものもあれば。筋骨隆々に見えるよう古典的様式に作られたもの、あるいは、トーガを着せてルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスにされたものもあった。ワシントン=キンキナトゥス像はバーモント州議事堂にある[1]

1771年、ウードンは芸術アカデミーの会員となり、1778年には教授になった。また、ルイ16世の宮廷とつながりがあったことからブルジョワとわかって、フランス革命の間は人気を失ったものの、投獄だけは免れた。逆に執政政府およびフランス第一帝政期には人気を取り戻した。

ウードンはパリで死んで、モンパルナス墓地に埋葬された。

またウードンは、フリーメイソンの9姉妹ロッジのメンバーでもあった。

脚注

参考文献

  • Poulet, Ann L. "Jean-Antoine Houdon: Sculptor of the Enlightenment." University of Chicago Press: 2003. ISBN 0-226-67647-1.

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