マリー・ブラックモンとは? わかりやすく解説

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マリー・ブラックモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 06:23 UTC 版)

マリー・ブラックモン
Marie Bracquemond
生誕 1840年12月1日
フランス王国 ランドゥンヴェスフランス語版
死没 (1916-01-17) 1916年1月17日(75歳没)
フランス共和国 パリセーブル
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マリー・ブラックモンフランス語: Marie Bracquemond, 結婚前の名:マリー・アンヌ・カロリーヌ・キヴォロン, フランス語: Marie Anne Caroline Quivoron, 1840年12月1日 - 1916年1月17日)はフランスの画家である。夫の画家、版画家のフェリックス・ブラックモンとともに、印象派の画家たちの中で活動した。

略歴

ブルターニュランドゥンヴェスフランス語版に生まれた。父親は海軍士官であったが、マリーが生まれて程なく亡くなり、その後、母親は再婚した。最初の絵画教育は地元の画家で若い女性向けの絵画教室を開いていたオーギュスト・ヴァッソール(Auguste Vassort)から受けた。1857年にサロン・ド・パリに応募した家族を描いた作品は受理され展示された。作品はドミニク・アングルに認められ、パリに移り、アングルの弟子になった[1]。当時アングルの工房にはイポリット・フランドランエミール・シニョルが学んでいた。1859年のサロンに出展し、1864年から連続して出展した[2]

1867年に、ルーブル美術館で巨匠たちの作品を模写していた時にフェリックス・ブラックモンと知り合い、母親の反対を押し切って、1869年に結婚し、翌年息子が生まれた。夫とともに磁器のデザインの仕事もした。夫が付き合っていた、エドゥアール・マネエドガー・ドガアルフレッド・シスレーらの画家の影響を受けて[3][4] 、アングルから学んだ新古典主義のスタイルから、「印象派」のスタイルに移っていった。1879年の「印象派展」(「アンデパンダン、レアリスト、印象派の美術家たちグループによる展覧会)に出展し、1880年、1886年の印象派展にも出展した[1]。1886年にはポール・ゴーギャンと知り合いその影響も受けた。

夫婦でセーブルに住み、セーブルの近郊で家族たちを描いた。夫が亡くなった2年後にパリかセーブルで死去した。

作品

参考文献

  1. ^ a b Clement, Russell T.; Houze, Annick; Erbolato-Ramsey, Christiane (2000). The Women Impressionists: A Sourcebook. Westport, CT: Greenwood Press. pp. 155–163. ISBN 0-313-30848-9 
  2. ^ Jean-Paul Bouillon, Marie Bracquemond, la 'dame' de l'impressionnisme, in: "L'Estampille/L'Objet d'Art", n°458, giugno 2010, p. 62.
  3. ^ Delia Gaze, Concise Dictionary of Women Artists, Routledge, 2013.
  4. ^ Bouillon, Jean-Paul; Kane, Elizabeth (1984), “Marie Bracquemond”, Woman's Art Journal (Woman's Art, Inc.) 5 (2): 21–27, doi:10.2307/1357962, JSTOR 1357962, https://jstor.org/stable/1357962 .



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