大正期 - 昭和初期
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泉州地域で旱魃(かんばつ)が発生したとされる。石津川 - 槇尾川間に位置する町村への農業用灌漑用溜池として、光明池の建設が計画される。
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大正期・昭和初期
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1914年(大正3年)12月20日には東京駅が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。同時に東京駅 - 高島駅間で電車(現在の京浜東北線)の運行が開始されている。 大正期になると輸送力増強のため、前述の難所においてルートの変更が必要となった。そのひとつである逢坂山(大津駅 - 京都駅間)は新逢坂山トンネル・東山トンネルが新たに造られ1921年(大正10年)に現在のルートになった。これによって特急列車による東京駅 - 神戸駅間の所要時間は11時間45分となった。伊豆・箱根地区(国府津駅 - 沼津駅間)についても別ルートを建設することとし、1925年(大正14年)までに国府津駅 - 熱海駅間が「熱海線」として開通したが、熱海駅 - 沼津駅間は丹那トンネルの建設が難工事となったため、開通が遅れた。一方、このころから列車線の電化工事が東京側から始まり、1928年(昭和3年)までに東京駅 - 熱海駅間の電化が完成、それまでの蒸気機関車に代わる電気機関車の運用も開始された。 1929年(昭和4年)には初めて愛称つきの特急「富士」「櫻」が、翌1930年(昭和5年)には超特急「燕」が登場。1934年(昭和9年)には丹那トンネルが開業し、国府津駅 - 沼津駅間の現在のルートが完成。旧ルートは御殿場線と名称が変更された。同時に電化区間も東京駅 - 沼津駅間となり、「燕」の東京駅 - 神戸駅間は8時間37分となった。また同年以降、京阪神地区でも電車(緩行電車・急行電車)の運転が開始された。1937年(昭和12年)7月には特急列車が1日5往復体制となり、このときが戦前における東海道本線の黄金期とされる。 しかし日中戦争、そして太平洋戦争が始まり戦時体制下となると、様々な物資を運ぶために貨物列車が増発・長編成化された。1944年(昭和19年)に決戦非常措置要綱に基づき旅行が大幅に制限されると、同年4月1日のダイヤ改正では特急列車は全廃、急行列車も縮減。寝台車や食堂車などの連結も廃止、さらに1945年(昭和20年)に入ると、連合国軍機による空襲や機銃掃射によって駅や線路・車両が破壊された。
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