大正期の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 03:26 UTC 版)
当行が煉瓦造り2階建ての本店を新築した1913年(大正2年)末には、金融恐慌が勃発して県内ではいくつかの銀行が取り付けに見舞われるとともに休業をやむなくされた。このさい当行は日本銀行の救済措置によって事なきを得て、翌1914年6月には同じく広島市に本店をおき営業圏が重複していた広島実業銀行を合併したが、この結果、当行の資本金は700,000円、払込資本金は200,000円に達し、実業銀行の店舗5支店を継承して支店網をさらに拡大した。さらに1918年には井東頭取と親しかった久原鉱業の久原房之助の勧めに応じて山口県下松にも支店を設置した。
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