向井寛との時代
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同年11月に公開された『色舞』、同年12月7日に公開された『破戒女』、翌1966年(昭和41年)1月に公開された『人妻の予定日』に主演し、向井寛の監督作への連続主演が始まった。同年5月に公開された『二股かける女』(監督向井寛、配給大蔵映画)は、自らが所属するとともに専務取締役の肩書きをもつ岡プロダクションの製作であり、主演するとともに自らがプロデュースを手がけた。それとともに歌手としてもテイチク(現在のテイチクエンタテインメント)に移籍し、シングル『女が爪を切るとき』、同『ベッドで煙草を吸わないで』を発表する。『ベッドで煙草を吸わないで』は、同年4月に沢たまき(日本ビクター)が歌ってヒットした楽曲のカバーである。向井作品に多く主演する一方で、1968年(昭和43年)には、日本のメジャー映画会社初の成人指定映画といわれる石井輝男監督の東映ポルノ『徳川女系図』に出演して曽雌定子を演じた。同作には内田のほか、谷ナオミ、辰巳典子、火鳥こずえ、祝真理ら、いわゆる独立系のピンク映画女優が多数出演しており、興行的に成功を収めた。これに触発された日活も、当時はまだロマンポルノ(1971年 - 1988年)を開始していなかったが、児井英生がプロデュースした『女浮世風呂』(監督井田探、同年7月10日公開)や『鮮血の賭場』(監督野村孝、同年8月14日公開)、高橋昌也の相手役として主演した『艶説 明治邪教伝』(監督土居通芳、同年7月10日公開)といった作品に内田を出演させた。 1969年(昭和44年)5月、向井寛の『禁じられたテクニック』(主演可能かづ子、1966年)が『ナオミ』(イタリア語: Naomi)の題でイタリアで公開されたが、表現が過激であるとして上映中止となる事件が起きる。このときの「ローマ法王に抗議したい」という向井の発言とともに、その恋人が内田であるとして報道された。ミリオンフィルム(社長・加来章、1968年8月1日設立)が配給し、同年9月8日に「ミリオンフィルム創立記念超大作」として公開された『日本処女暗黒史』(監督向井寛)に、デヴィ夫人をモデルにした人物を演じて主演したのを最後に、出演作が記録にみられなくなる。ただし同作から引退時期までの作品記録が掲載されている『映画年鑑 1973』において、独立系の映画作品については監督名以外記載されておらず、この時期の出演者が概して不明である。1970年(昭和45年)2月1日には、テイチクのレーベルであるユニオンレコードからシングル『あなたと死にたい私』、同年7月1日には同レーベルからシングル『ベッドで煙草を吸わないで』を再発売した。翌1971年(昭和46年)、向江と結婚した。その後は1972年(昭和47年)まで、バーの経営やキャバレー出演等も行なっていたが、一旦、引退した。 長男の向江寛尚は、同年11月11日に生まれ、法政大学経済学部を卒業後、プロゴルファーになった。1995年(平成7年)9月23日に公開された『あした』(監督大林宣彦)に長女の向江玲香が出演した。玲香は、その後、むかえれいかの名で、向井寛の監督した『GOING WEST 西へ…』(1997年)、同じく『故郷』(1999年)にも出演している。『GOING WEST 西へ…』には内田も出演した。 2008年(平成20年)6月9日、夫の向井と死別する。その一周忌を目前とした2009年(平成21年)3月14日 - 同年5月15日にラピュタ阿佐ヶ谷で行なわれた「60年代まぼろしの官能女優たち」の特集上映で主演作『淫紋』(監督向井寛)が16mmフィルムヴァージョンで上映され(同年3月14日 - 同20日)、初日の同年3月14日にトークイベントの舞台に立つ。同特集上映では『女王蜂の欲情』(監督小川欽也)も上映された(同年3月21日 - 同27日)。その後、向井の一周忌を経て、同年9月18日に公開されたR18+指定の劇場用映画『熟女 淫らに乱れて』(監督鎮西尚一)に出演する。同時期にフジテレビジョンが放送した連続テレビドラマ『任侠ヘルパー』の第8回 - 第11回に向江 たかこ名義でセミレギュラー出演した。2012年(平成24年)8月17日・18日、向井と内田の最初の作品である『肉』および『女王蜂の欲情』が銀座シネパトスで上映され、内田は、後者の監督である小川欽也とともにトークイベントに出演した。
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