向井忠勝の屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 22:35 UTC 版)
忠勝の本邸は采地である相模国三浦郡の三崎宝蔵山である。江戸の宿館は楓川と日本橋川が合流する東詰にあり、船入りと水路を備えた角地にあり、その東に隣接して右衛門直宗の屋敷が置かれていた(『武州豊嶋郡江戸庄図』)。忠勝の江戸下屋敷は新堀の中央区日本橋箱崎町で、将監番所は霊岸島八町掘であり、この東側に船手組屋敷が置かれ、江戸城を守護する機能を果たしていた。 亀島川沿いの河岸は「将監河岸」なる地名で明治時代末期まで正式な地名となっていた。
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