合併後の動向
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2005年に立川町は余目町と合併し庄内町となったが、風力発電事業は以後も庄内町へ引き継がれている。2002年に建設した町営1500kW発電機は、2019年時点で一般家庭500世帯分の発電を賄い、年間約5000万円の電力売却益を得ている。風力発電を中心にバイオマス事業、雪冷房システム、町内で産出される天然ガスを用いた天然ガス自動車、太陽光発電の導入など、総合的に新エネルギーに取り組んでいる。 第三セクターとして発足したたちかわ風力発電研究所は、当初はエコ・パワーによる出資を受けたが、2010年にエコ・パワーがコスモ石油グループ入りしたのに伴い、2020年現在はコスモエコパワーの管理下となっている(庄内町も引き続き出資者の地位にある)。
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合併後の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:20 UTC 版)
合併後、1926年(大正15年)3月に大味川発電所(出力160キロワット)、1929年(昭和4年)7月足羽川白粟発電所(出力400キロワット)がそれぞれ運転を開始した。またその間の1928年(昭和3年)7月には日野川にある第二日野川発電所(出力300キロワット)を河野水電から譲り受けた。この発電所は前年1月に京都電灯系の南越電気によって建てられたが、年内に河野水電に渡っていた。以上により発電所は水力計6か所となり、総発電力は2,710キロワットとなった。 続いて1931年(昭和6年)12月、傍系会社の日野川水力電気を合併した。同社は1918年11月、南条郡今庄村(現・南越前町)にて地元有志と越前電気社長森広三郎によって設立。越前電気からの受電によって1920年5月に開業し、今立村などに供給していた。これに続く合併は1937年(昭和12年)4月のことで、今度は上で触れた河野水電を合併した。同社は1920年2月福井市に設立。翌年2月に開業し、出力50キロワットの三ノ瀬発電所と越前電気からの受電によって南条郡河野村を中心に供給していた。 越前電気の供給実績は1930年代にも大きく伸長した。これは1930年代初頭から供給区域内の農村部で広く営まれていた織物業が活性化したためで、電動機の利用増加(小口電力の供給増)と農村部の電灯普及という効果をもたらした。1938年(昭和13年)11月末時点における供給成績は、電灯需要家4万5201戸・取付灯数17万6773灯、小口電力供給6,173キロワット、大口電力供給1,960キロワット、電熱その他417キロワットであった。なお大口電力の供給先には福武電気鉄道・鯖浦電気鉄道や西野製紙所などがあった。この間、既設発電所の出力増はあったが発電所の新設は一切行われなかったため、需要増加は大同電力からの受電増によって対処していた。
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