合併後のコンパック
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合併をスムーズに行うため、コンパックの最後の会長兼CEOマイケル・カペラスはHPの社長に就任し、カーリー・フィオリーナが会長兼CEOとなった。カペラスは就任から約6カ月後の2002年11月12日には社長を辞任し、ワールドコム(後にMCI)のCEOに就任し、ベライゾンへの身売りを指揮した。なお、HPの社長の座は空席のままで、単に社長ではなくCEOに報告するようになった。 カペラスが去った後、フィオリーナは3年弱の間HPを経営した。HPは数千人の従業員をレイオフしたが、株価は下落し続け、利益は回復しなかった。コンパック出身の重役も辞任または解任された。どちらもPCを製造していたので一時的に世界一になったが、すぐにシェアをデルに奪われた。ハイエンドサーバ市場でもIBMと対抗することはできなかった。さらにコンパックの停滞したPC製造部門とHPの高収益なプリンティング・イメージング部門の統合は、後者の収益性を薄めるものとして批判された。結果として合併反対派が言ったとおりになったが、全ての原因はPC事業の利益率が低いことであり、2005年にIBMがPC事業をレノボに売却したことからもそれがわかる。2005年2月、フィオリーナは解任された。 後任としてカペラスの名が挙がったこともあるが、新CEO兼社長としてマーク・ハード(英語版)が招かれることになった。ハードはまずPC部門とプリンティング・イメージング部門を分離した。その後のリストラでPC部門は息を吹き返し、プリンターよりも利益を上げられるようになった。2006年後半には、品質に問題を抱えていたデルからトップの座を奪い返し、その後も世界一を続けている。2009年現在もデル、エイサーを抑えて世界第1位である。 コンパック製品の多くはHPのブランド名に変更され、たとえば ProLiant サーバなどとなっている。ブランドとして浸透していた Compaq Presario などはそのままの名称で存続していた。企業向けPCは Compaq Evo が好評だったのでHPの企業向けPCはなくなり、Evo を HP Compaq とブランド変更した。それらをベースとして、主にエンターテインメントや見栄えの面で付加価値を高めた HP Pavilion シリーズ (Compaqの表記は無い)が派生している。PDAはHPのJornadaではなく、コンパックのiPAQが存続し、HP iPAQ となった。 2007年5月、HPはコンパック部門の新たなロゴを発表し、今後 Compaq Presario の新機種で使用するとした。 2010年、Presario が HP 2000 シリーズに置き換えられた。サーバなどでは HP Compaq のブランド名が残っている。 2011年8月18日、PC事業グループの一部または全部をスピンオフする計画を発表。PC事業は利益率は低いが、HPの2010年の売り上げの3分の1を占めている。販売台数でも依然として世界第1位で、2011年第2四半期には1490万台を売り上げており、ガートナーによれば市場シェアは17.5%である。
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