各国・国連の対応
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「サンタクルス事件」の記事における「各国・国連の対応」の解説
事件を受け、各国は遺憾の意を表明した。日本は駐日インドネシア公使を外務省に呼び、「事実であれば遺憾だ」と伝え、事実解明と責任者処罰を求めた。このほか、インドネシア大使館の前ではハンガー・ストライキが行われた。また、11月19日には東京都調布市議会が「東ティモール政策の見直しを求める決議」を採択した。これは、日本の対インドネシア政府開発援助(ODA)を条件に、東ティモールからのインドネシア国軍撤退を求めるものだった。また、「東ティモール問題を考える議員懇談会」も262人の議員の署名とともに、援助見直しや国連調査団の派遣などを求める書簡を宮澤喜一首相に渡した。 アメリカ合衆国は、1975年以来インドネシアの軍人に対して続けてきた「国際軍事教育プログラム」(IMET)の停止を発表した。延べ2,600人に行ってきたIMETの停止は初めてだった。また、オランダ、デンマーク、カナダがインドネシアに対する新規援助の停止を発表した。しかし、オランダが2億ドル(1990年)、デンマークが400万ドル(1992年予定)、カナダが4600万ドル(1990年)の援助額レベルで、年間の援助総額が約50億ドルにのぼるインドネシアにそのインパクトは欠けていた。最大援助国で13億8253万ドル(1991年)を援助している日本は援助停止の必要はないと判断し、政治的影響力の強い米豪も支援を続けた。 インドネシアは、こうした動きに対抗して1992年3月25日、オランダの援助拒否を発表した。旧宗主国のオランダはインドネシア債権国会議(IGGI)の議長国を務めており、インドネシアの人権侵害にしばしば言及していた。インドネシアはこうした援助と人権を関連づけるやり方に反発しており、スハルト大統領自ら会見を行い、「自分たちでこの国を開発しよう」と訴えた。この翌日、オランダは新規援助のみならず現行援助の停止と、IGGIを招集しないと発表した。これによりIGGIは解散し、世界銀行を議長とするインドネシア支援国会合(CGI)が設立された。しかし、同年7月にパリで開かれた事件後初めてのCGIでは、各国の援助総額が49億4900万ドルに達し、前年の提示総額を1億3000万ドル上回っていた。 一方、国連では1992年にブトロス・ブトロス=ガーリが新たな事務総長に就任し、同年2月にケニヤの検事総長アモス・ワコを特使としてインドネシア、東ティモールへ派遣した。また、第48回人権委員会では、拷問の特別報告者、コーイマンスがインドネシア国軍は違法な逮捕や拷問などを行っているが、予防措置を講じていないとする報告書を提出した。同年の人権委員会は東ティモールの討議の結果、決議ではなく、議長声明を採択した。議長声明は、通常ポルトガルの立場を代弁したEUがインドネシアと協議してつくる合意で、決議よりは劣るもののインドネシアの合意を得ているため、実行性は高かった。議長声明には、行方不明者の捜索、公正な裁判、非暴力活動が理由で逮捕された者の即時釈放、人権団体の入国許可などが盛り込まれていた。しかし、インドネシアはこれらの要求にはほとんど応えなかった。
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