古代漢民族のエスノセントリズム
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「中華思想」の記事における「古代漢民族のエスノセントリズム」の解説
詳細は「漢民族」を参照 エスノセントリズム(自民族中心主義)としての中華思想は漢民族を中心としたものであり、中国の皇帝を世界の中心とみなし、天下を代表する「天子」と称す。この皇帝が統治する朝廷の文化と思想が世界で最高の価値を持つとみなされる。そのため、異民族や外国の侵入に対しては、熾烈な排外主義思想として表面化することがある。 中国の歴史においては、はじめは北の遊牧文化に対し、漢民族の農耕文化が優越であることを意味した。春秋戦国時代以後は、「詩経」や「韓非子」「呂氏春秋」などの古典にある「普天之下 漠非王土 率土之浜 莫非王臣」(天下のもの全て、帝王の領土で無いものはなく、国のはてまで、帝王の家来で無いものはいない)という言葉にあるように礼教文化の王道政治にもとづいて天子を頂点とする国家体制を最上とし、その徳が及んでいない状態であれば夷と称される。夷は道からはずれた禽獣(鳥やけだものを意味する)に等しいものとして東夷・西戎・南蛮・北狄などと呼んだ。この夷の基準は固定的なものではなく、天子の徳や礼が及び、文化の発展とともに移動する変動的な概念である。 中華とは『華(文明)の中』であり『文明圏』を意味する儒教的価値観から発展した選民思想であり、その字義のことである。自らを華(文明)と美称するにあたって、対比となる夷(非文明)が『華の外』に必要となり、全ての非中華が彼らの思想的に夷(蛮)とされた。司馬遼太郎は著書『この国のかたち』[要ページ番号]の中で、「華が文明であるかぎりは野蛮(夷)が存在せねばならない。具体的に─地理的に─いえば、華はまわりを野蛮国でかこまれてこそ華である」とする。そして「中国人が、世界を華と夷という二次元的風景でとらえてきたのは紀元前からだが、とくに武帝(紀元前159〜前87)の儒教国教化以降、思想として体質化された」と述べる。 このため「華にとっては、周辺の国々とは対等な関係がなく、従って外交は成立せず、19世紀のある時期まで朝貢関係のみが存在した」ことや、中国王朝が1文字表記(漢、魏、晋、唐、隋、宋など)であるのに対し、周辺の国々は匈奴、鮮卑、東胡、烏丸のような二字以上の表記であること、さらに虫編や差別的な意味の文字をあてて他民族や他国を呼んでいたことをあげている。 さらに中華の意味について、司馬遼太郎は同書の中で「げんに中国人は、みずからを華人という。文明人のことである」「中華とは、宇宙唯一の文明ということである」と記す。
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