遊牧文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:13 UTC 版)
紀元前2000年紀前半に入ると、シベリア南部でも牧畜が盛んになり、またシベリア独自の文化も生まれた。その後南部では遊牧的な生活様式に移行したとみられ、特に南方の匈奴文化の影響のもとにスキト=シベリア文化(パジリク文化やタガール文化)が生まれた。 中国の文献によれば、漢代に丁零がシベリア南部からモンゴルあたりに栄えたとされ、これはテュルク系民族と考えられている。6世紀には同じテュルク系の突厥がこのあたりに建国し、以後テュルク系遊牧民族は西方に広がったが、現在でもシベリアにはサハ人などテュルク系民族が多く住む。一方シベリア東部ではツングース系民族が、バイカル湖周辺ではモンゴル系民族(ブリヤート人)が広がった。古シベリア(古アジア)諸族と総称される人々も、今日ではごく少数にすぎないが、古くははるかに広い範囲に住んでいたと考えられている。 東部沿海地方・満州方面のツングース系と見られる人々は周代から粛慎として文献に現れ、その後挹婁・勿吉・靺鞨・女真といった名で長く記録を残している。靺鞨は満州・沿海地方南部を中心とする渤海を、女真は金および清の王朝を築いて中国を支配した。中国三国時代の満州方面にいた夫余の民族系統は不明であるが、彼らは朝鮮の高句麗・百済を築いた。 近世にはシベリア南部がモンゴル、次いで元朝やジョチ・ウルスに支配された。15世紀にジョチ・ウルスが分裂すると、その流れを汲みテュルク系民族を中心とする後継国家のシビル・ハン国がシベリア中央部のオビ川流域周辺を支配し半遊牧国家を形成した。
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