遊牧民の侵略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:00 UTC 版)
北方の遊牧民(スキタイと月氏)がオクサス(アムダリヤ川)を渡ってバクトリアに侵入したのは紀元前135年ごろである。月氏の侵略に続く紀元前130年から120年にアイ・ハヌムは放棄されたとみられる。主要な建物には大規模な火災の痕跡がある。最後のグレコ・バクトリア王ヘリオクレスは紀元前125年ごろ、都をバルフからカーブルの谷に移した。アイ・ハヌムではヘリオクレスの硬貨が見つかっておらず、この都市がエウクラティデスの治世の最後に破壊されたことを示唆している。インド・グリーク朝の下で紀元10年ごろまでギリシア人がインド北部の各地を支配し続けたが、インド=スキタイ族に征服された。そのわずか数十年後、月氏によるクシャーナ朝が起こり、北インドに領土を拡大していった。 ベグラムやハッダの遺跡と同様、アイ・ハヌムの遺跡も長引くアフガニスタン紛争によって略奪と破壊が横行している。
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