遊牧民の改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:53 UTC 版)
ジョチ・ウルス内のムスリムの数は少なく、ウズベクは領内の非ムスリムに武力による改宗と服従を迫った。1314年にマムルーク朝のもとに派遣された使節は、ウズベクがイスラームへの改宗のために戦い、反抗するものに弾圧を加えたと述べた。しかし、一方ではキリスト教徒に対して寛大な態度を示し、教皇ヨハネス22世から感謝状が贈られた。 彼の治世から王族や諸侯はじめジョチ・ウルス領内全域でも遊牧諸勢力のムスリム化が顕著になる。ウズベク以降のジョチ・ウルスの君主は、皆イスラム教を信仰していた。ティムール朝やムガル朝などのペルシア語、アラビア語資料において、シャイバーニー朝の君主はじめジョチ・ウルス系の諸勢力は「ウズベキヤーン(ウズベクの者たち)」という名で呼ばれている。これは、14-15世紀にかけてムスリム化が促進したジョチ・ウルス内部の諸勢力が、自らのアイデンティティをジョチ家の系統かつムスリムであることを標榜し、その権威をムスリムであるジョチ・ウルスの宗主ウズベク・ハンに因んで呼んだ、他称ないし自称であろうと現在の研究では有力視されている。
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