遊牧民とオアシス都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
現在シルクロードと呼ばれているルートは、最古は玉(ぎょく)の道だったとも言われている。古代中国では軟玉と呼ばれる翡翠を用いた玉製品が珍重され、紀元前2000年には玉器の貿易が行われていた。軟玉はタリム盆地のホータンで産出され、紀元前1500年には楼蘭が中継地となって蘭州や藍田に運ばれた。中央アジアや西アジアのオアシスでは灌漑農耕が行われ、用水路や地下水路のカナートの建設が進み、紀元前1000年にはオアシス都市が成立して貿易の拠点になった。軍事面に優れた遊牧民と、経済面に優れたオアシス都市とは互恵的な関係を持つようになる。遊牧民は軍事的な庇護を提供して、オアシス都市は食料や人畜を提供した。遊牧民の使節は隊商も兼ねるようになり、オアシス都市や使節に同行する商人にとって遠距離交易の機会が増えた。 紀元前7世紀には南ロシアの遊牧民であるスキタイが、メソポタミアやエジプトへ進入を繰り返した。スキタイは東西交易を行い、黒海のアゾフ海から中央アジアのイッセドネスまで、ステップ地帯を横断するルートが伸びた。スキタイではギリシアの影響を受けた工芸品も作られ、素材には黄金や金銀の合金であるエレクトラムが用いられた。
※この「遊牧民とオアシス都市」の解説は、「貿易史」の解説の一部です。
「遊牧民とオアシス都市」を含む「貿易史」の記事については、「貿易史」の概要を参照ください。
- 遊牧民とオアシス都市のページへのリンク