遊牧ウイグル国家の崩壊とその後の分散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:33 UTC 版)
「新疆の歴史」の記事における「遊牧ウイグル国家の崩壊とその後の分散」の解説
840年、ウイグルは内乱とキルギス族の攻撃を受けて、遊牧ウイグル国家は崩壊した。このときウイグル人はモンゴル高原から別の地域へ拡散し、唐の北方に移住した集団はのちに元代のオングートとなる。一部は吐蕃・安西へ逃れ、西の天山方面のカルルク(葛邏禄)へ移った一派は、後にテュルク系初のイスラーム王朝であるカラハン朝を建国した。甘粛に移った一派はのちの960年、甘粛ウイグルをたてる。他の主力となる一派は、東部天山のビシュバリク(北庭)、カラシャール(焉耆)、トゥルファン(高昌)を制圧し、タリム盆地周辺をかかえて、西ウイグル王国(天山ウイグル王国)を建国する。
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