受容と研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 09:51 UTC 版)
詳細は「イスラーム美術史学(フランス語版)」を参照 ヨーロッパにおいては、中世に高価な物品(絹、天然水晶)を多数輸入していたため、古くからイスラーム美術が知られていた。こうした物品の多くが聖遺物箱に使用され、西洋の教会の宝物庫で保存されている。初期のガラス器の完品の大部分は、イスラーム世界ではなく教会の宝物庫に残っていたものである。しかしながら、学問としてのイスラーム美術史は、たとえば西洋の古代美術史などよりも遥かに最近になって生まれた分野である。それに加えて考古学の分野では、古代の遺物を求める発掘によってイスラーム美術が荒らされて犠牲となる場合もある。 19世紀に誕生しオリエンタリズムによって推進されたこの学問は、世界的な政治・宗教上の出来事のために紆余曲折を経てきた。植民地化は一部の国々の研究に有利に働き、ヨーロッパとアメリカに複数のコレクションも誕生したが、完全に無視された時代や地域も数多あった。後期オスマン帝国やガージャール朝の美術がその典型で、今日ようやく再発見されつつある。西洋的なオリエンタリズムはイスラームの過去の1つの統一された黄金時代を見ようとし、他方で植民地主義から解放されたイスラーム諸国では汎イスラーム主義と民族主義との相克があった。 イスラーム美術が主に西洋美術の分類によって行われてきたため、問題が生じた点もあった。そのひとつが絵画と文様の関係についてである。イスラーム絵画においてはタズヒーブ(文様)も絵画ジャンルであり、特に写本との関係で重要とされてきた。西洋絵画の方法論は人物や動植物などの具象画に注目するため、細密画は評価をされたが、文様は写本の一要素として論じられる傾向にあった。また、細密画においても、アラブ、イラン、インド、トルコなどの絵画がイスラーム絵画としてまとめて論じられる傾向にあったが、民族や地域による美的感性の違いについてさらに個別の研究が必要とされている。 日本へは7世紀末には唐招提寺舎利容器(国宝)としてイスラームのガラスが鑑真によりもたらされたほか、東大寺正倉院中倉に3点のイスラーム・ガラス器が収められている。中近世にも陶磁器、絨毯、織物は伝来を続けており、特に織物は名物裂として扱われた。20世紀に入ってからは、早稲田大学、中近東文化センター、イスラーム考古学研究所、出光美術館などが1970年代以降に発掘・研究活動を行っている。
※この「受容と研究史」の解説は、「イスラム美術」の解説の一部です。
「受容と研究史」を含む「イスラム美術」の記事については、「イスラム美術」の概要を参照ください。
- 受容と研究史のページへのリンク