受容の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 19:35 UTC 版)
「交響曲第5番 (チャイコフスキー)」の記事における「受容の広がり」の解説
20世紀前半には、クラシック音楽の演奏会だけでなく、レコード、ラジオなどの新しいメディアを通じて、あるいはバレエや映画などでの使用によって交響曲第5番は広く受容されるようになった。 第一次世界大戦後の1920年代にはアルバート・コーツ、ウィレム・メンゲルベルク、ランドン・ロナルド、フレデリック・ストックなどの指揮者によるレコード録音が行われている。なお、この時期の日本では、1926年に ヨゼフ・ケーニヒ指揮、日本交響楽協会によって交響曲第5番が初演されている。 1930年代のバレエや映画などの作品には交響曲第5番を使ったものがある。1933年のバレエ『前兆(ロシア語版)』(Les Présages)は、バレエ・リュス出身の振付師レオニード・マシーンが交響曲第5番に振り付けた作品であり、同年4月にバレエ・リュス・ド・モンテカルロによって初演されている。なお、マシーンは1930年代に既存の交響曲に基づく「シンフォニック・バレエ」を発表しており、『前兆』はその最初の作品である。 交響曲第5番第2楽章の美しい音楽は、1930年の映画『地獄の天使』(Hell's Angels)のオープニングクレジット及びインターミッション、あるいは1932年の映画"Strange Interlude(英語版)" のオープニングクレジットで使われ、1937年のミュージカル映画『君若き頃』(Maytime)では歌詞が付けられ、劇中歌 " Czaritsa " として歌われている。なお、映画における交響曲第5番の使用例は他にもあり、1937年の『オーケストラの少女』(One Hundred Men and a Girl)ではレオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団が出演し、冒頭のシーンで第4楽章を演奏している。 1939年には、マック・デイビッド(英語版)、マック・デイヴィス、アンドレ・コステラネッツが第2楽章の主旋律をもとにした歌『ムーン・ラヴ』(Moon Love)を作っている。『ムーン・ラヴ』はグレン・ミラー楽団(ヴォーカルはレイ・エバリー(英語版)。)によって演奏されてアメリカにおけるヒット曲となり、さらにミルドレッド・ベイリー(英語版)によっても歌われた。同曲はその後もフランク・シナトラ 、エディ・デューチン、ナット・キング・コール、チェット・ベイカーなど多くのアーティストによってカバーされている。 第二次世界大戦中には、交響曲第5番は「勝利」のイメージがあることから連合国で好んで演奏された。欧米のオーケストラなどによる交響曲第5番のプログラムノートには、次のようなエピソードが掲載されていることがある。 (大意)レニングラード包囲戦の最中、1941年10月20日、レニングラード放送交響楽団が演奏するチャイコフスキーの交響曲第5番がラジオでロンドンに生中継され、第2楽章の冒頭では演奏会場の近くにドイツ軍の爆弾が落ちたが演奏は最後まで行われた。 20世紀後半以降、今日に至るまで多くの演奏・録音が行われており、少なくとも日本においては、アマチュアオーケストラの間でも人気の高いレパートリーとなっている。
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