受容の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:35 UTC 版)
復刻したのは、范富庶や阮子高、武元二、阮進らベトナム科挙官僚であった。序文を書いたのは范富庶であって、彼は海陽省総督兼総理商務大臣という肩書きをもっていた。当時海陽省に属していたハイフォンは第二サイゴン条約によって開港地に指定された港である。したがってフランスの進出著しく、地方官僚とフランス人との接触は頻繁であった地域といえる。加えてハイフォンをはじめ、ベトナム各地に設けられた税関ではヨーロッパ人がトップである税関長を占め、ベトナム人スタッフと共同運営していたが、ヨーロッパ・ベトナム間にはよく争いが生じていた。貿易に関する理解・文化が異なっていたためである。1876年には国民の海外渡航や外国人商人との貿易を解禁し、完全な開国政策を打ち出した。それに伴い、加速度的に外国人との折衝・トラブルが増加したことはいうまでもない。 開国の翌年に、海陽の官僚が『万国公法』を復刻しようとした動機は、自明であろう。それは日々発生する様々な対外案件に対し効果的な対応をするために他ならなかった(武山2003)。
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