受容の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:11 UTC 版)
この俗語は一部の芸人にとどまらず、歌手や俳優など多くの芸能人の間でも盛んに用いられたといい、「冗談、ユーモア、洒落が分かるか否か」の意味であつかわれていた。例えば冗談を発した者が相手からの評価が得られなかった際、逆に相手を「暗い性格!」とからかうのだった。また、筑紫との対談の中でネクラを肯定的に解釈していたタモリだが、この俗語や「根」の問題を自身が生業としていた「ニューミュージック批判」「純文学批判」へと用いていた。ここで批判対象となったのがミュージシャンのさだまさしや作家の渡辺淳一などで、中でもさだは話術の巧さやバイオリンを弾く姿もあって女性からの人気を獲得していたが、陰に潜む暗さを狙われてネクラ視されるに至った。なお、当時のタモリは毒舌家として鳴らしており、「これはシャレなんですから、怒ってはいけない」と断りを入れながら、特定の物事に対して挑発を続けるのが常套手段となっていた。 やがて大衆の間に広まる過程で「表面的に明るいか暗いか」の意味のみで用いられるようになり、さらに「(流行に)のれない」「ダサい」と同義、あるいは地方出身者を揶揄する言葉へと変化した。こうした受容についてライターの近藤正高は「(タモリによるニューミュージック批判や、純文学批判が)若者を中心に暗いものはカッコ悪いという風潮を作り出すことに一役買ったことは間違いないだろう」と指摘している。なお、一連の受容についてタモリは「暗いやつが明るいやつのように振る舞うのは見苦しくて悲惨もいいとこだ、暗いやつは暗いまんまで表現したほうが、かえって面白い場合があるんだと。でももう追っつかないですね」と否定的に捉え、筑紫は「わりあい(人付き合いが)器用に見えて、下手な世代になっている」「表向きは付き合うけど、どこか自分を出せない。自分がネクラに見られたら大変だという強迫観念がある」と評した。
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