友純の晩年とは? わかりやすく解説

友純の晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 13:43 UTC 版)

住友友純」の記事における「友純の晩年」の解説

1905年明治38年)から別子四阪島巡察した。 1906年明治39年1月実兄西園寺公望内閣総理大臣となる。同年4月勲二等瑞宝章受章東京麻布区鳥居坂別邸設ける。 1907年明治40年5月別子銅山巡察1908年明治41年11月本店及び銀行本店大阪市東区北浜新館移し1909年明治42年1月住友本店住友総本店とした。 1911年明治44年6月には伸銅場中之島分工場廃し安治川本工場に合併する8月25日男爵授けられる8月住友電線製造業分離し住友電線製造所設ける。 1912年明治45年2月銀行組織1500万円株式会社にする。同年5月別子銅山四阪島巡視同年大正元年12月大阪商工会顧問1913年大正2年肥料製造所愛媛県新居浜町設ける。 1914年大正3年1月広瀬宰平没(87歳)。 1915年大正4年)、住友私立職工養成所設立し、友純はその理事となる。 1916年大正5年7月分家住友忠輝、住吉村移居10月住友寛一相続人廃除分家届出同年11月上海住友洋行をおき、住友製品販売開始し1917年大正6年7月には天津にもおく。また、銀行資本金3000万円に増額し株式一部公開した1918年大正7年12月東北大学鉄鋼研究所創立費ならびに事業費寄付を願出した1919年大正8年2月理化学研究所監事及び評議員委嘱される。 1919年大正8年)、岸本製鉄所買収し住友伸銅所尼崎工場とした。12月大阪北港株式会社創立する1920年大正9年)には住友鋳鋼所を株式会社住友製鋼所とした。 1921年大正10年2月には住友合資会社資本金1億5000万円)を設立し総本店事業継承して、その社長となった同年5月には私立大住友病院設立する1922年大正11年)には府立大図書館増築完成し大阪府寄贈した1923年大正12年8月株式会社住友ビルディング設立同月倉庫資本金1500万円株式会社組織変更する。 1925年大正14年)、本邸兵庫県武庫郡住吉村に移す。同年6月肥料製造所資本金300万円株式会社にする。同年7月資本金2000万円住友信託株式会社設立する同年10月総理中田錦吉退職理事湯川寛吉総理事となる。同年11月から友純病にふす。 1926年大正15年3月2日逝去享年633月9日住友友成が吉左衛門襲名し5月1日、吉左衛門襲爵

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