原発事故対応拠点
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福島第一原子力発電所事故の経緯、フクシマ50もあわせて参照 2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生したが、ここで人的な被害はなかった。同日は避難所として機能していた。 福島第一原子力発電所事故が発生し、同原発から20キロメートル圏内にあることから避難指示区域、後に警戒区域に入ったため、翌3月12日から別の場所への避難を開始した。同施設を拠点に活動しているJFAアカデミー福島 およびTEPCOマリーゼ は避難を余儀なくされた。 同年3月15日、施設は国に移管され、陸上自衛隊のヘリコプター機体および隊員が放射性物質を除去するための除染場所となり、同年3月18日には政府、東京電力、陸上自衛隊および警察や消防が原発事故に対応する「現地調整所」を設置し、前線拠点として本格的に運用を開始した。近くの道路や駐車場は、使用済み核燃料プールを冷却する消防車(大型破壊機救難消防車A-MB-3など)や汚染された瓦礫撤去のために用意された戦車(74式戦車2両)・装甲回収車(78式戦車回収車1両)、放射線量の測定車 といった特殊車両の待機場所となった。原発事故に対応する作業員を診断する医療班が常駐している。事故発生当時、最大で1000人の関係者が寝泊まりしていた。福島第一原発内で作業を終えた作業員はここで除染および宿泊・食事をしていたため、事故対応が長期化する中で当該施設の環境改善が叫ばれるようになった。 2011年(平成23年)9月時点、作業員の宿泊施設を南のいわき市に置き、1日あたり3,000人から1,300人の作業員がここで作業服に着替えて原発に向かう「中継基地」となっていた。常駐は自衛隊員数10人、東電社員約200人。2011年(平成23年)10月現在、芝のフィールドはヘリポート・駐車場・除染場・作業スペース・資材保管場所として使われ、一部はアスファルト や砂利が敷かれた。Jヴィレッジスタジアムのフィールドには、東電社員用のプレハブが置かれている。 東京電力は福島第一原子力発電所の事故に伴う賠償や除染への対応を強化するため、「福島復興本社」を2013年(平成25年)1月1日 (1月4日業務開始)よりJヴィレッジに設立、4000人を超える社員を配置させ、それまで本店が担当していた賠償の審査業務の一部を復興本社に移す他、実務を受け持つ南相馬市や会津若松市など5ヵ所の事業所の担当者を増やすことで支払いへの対応を加速させるとした。 なおこの間、Jヴィレッジ施設で働いていたパートや派遣社員約150人は全員解雇され、残る13人の正社員は減俸し雇用を続け郡山市・いわき市・会津若松市の災害対策本部でボランティア活動に従事し、その後2012年9月よりいわき市に仮設フィットネスジムを設置・運営させていた。 2013年(平成25年)7月1日、Jヴィレッジ内に置かれていた福島第一原発への入退管理機能の多くを、原発敷地内の「入退域管理施設」に移した。
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